物書き医草稿集 Ver.5-5
  1. 開業医とマスコミ (安藤潔)
  2. サマリー (栫井雄一郎)


開業医とマスコミ
 平成12年5月号の特集にはネット上討論、「従来のマスコミとインターネット:開業医の立場から」を報告しましたが、今回も「開業医」がキーワードですので、私達、40歳台の開業医がどのような時にマスコミ(マス・メデチィア)の存在を意識し、どのように考えているのか、について御紹介しようと思います。

○医学・医療に関連する番組や記事を見聞きした時
 よく「人体の不思議」という言葉を耳にしますが、医学を学べば学ぶほど人体の構造の巧みさに驚嘆し、生命誕生以来、何億年もの間の弛まぬ試行錯誤の産物であることを実感します。その一方、この精巧な人体を脅かす病気もまた、驚くほど多種多様であり、既に遺伝子という段階まで踏み込んだ現代の医学ですが、医療の現場ではEBMが流行り言葉にしか聞こえぬ程の未だ混沌とした試行錯誤の中で、患者さんと医師は何とか病魔と戦っています。
 そんな医学・医療の分野ですから、関連する番組や記事を見聞きした時、自分が学び経験してきた範囲のことでしたら、記者の力量も良く判り、報道内容を鵜呑みにすることはありませんが、それ以外の範囲ですと、私達、医師といえども、どこまでその内容が正しいのか、という判断は容易ではありません。そんな時、勤務医の頃ならば院内のその範囲を得意とする医師に確かめることも容易でしたが、個人開業となるとそれが難しい。忙しい毎日に追われてその確認もままなりません。更にこれが医学・医療を支える医療制度の問題になると、近年、医療費削減が声高に叫ばれるようになるまで、私達、医師は「如何に目の前の病魔と闘うか」に専念してきましたので、己はもとより周囲にも詳しい医師は少ないというのが実状でした。しかし、インターネットの普及と共に大きく様変わりしました。今や全国各地の開業医や勤務医の方々と、居ながらにして迅速な情報・意見交換が可能になり、守備範囲外のマスコミ報道に惑わされることもほぼ無くなり、医療制度についても勉強するようになりました。

○患者さんがマスコミに左右されているのを知った時
 国民の健康への関心が高まるのに伴い、医学・医療を扱う報道も増えて来ましたが、そもそもメディアには「犬が人を噛まなきゃ記事にならない」とか「広告料が無ければ成り立たない」とかいう側面もあり、マス・メディア(マスコミ)には取材対象が膨大過ぎてマン・パワーが追い付かず、ごく限られたソースからの情報を消化不良のまま垂れ流すという側面もあるようで、当然、報道の内容は玉石混淆となり、メディア・リテラシーという概念が根付いていない我が国では、惑わされる国民が多くなりがちです。
 この影響は日常診療にも及んでおり、例えば患者さんが薬の副作用ばかりを強調した報道に不安を掻き立てられ、勝手に治療を中断してドクター・ショッピングに流れたり、患者さんの為を思って検査・投薬をしても「医は算術」報道に惑わされて不平・不満をぶつけられたり、これらはお馴染みさんになり信用を得れば解決する問題ではあるものの、実地医療の現場ではいろいろと無用のトラブルを生んでいます。また、一般の方々のマスコミへの盲信でしょうか、そこに流れるオカシナ広告や、登場する医師・評論家の偏った発言に惑わされ、開業医が知らぬような民間療法へ走って持病を悪化させてしまう、ということもまま、見られます。今回、牧瀬先生より、「ジャーナリストや研究者は報告の正確性と大衆への情報のバランスを考慮すべき」(表1)との御意見を頂きましたが、傾聴に値すると考えます。
 
○取材申込みを受けた時
 普通、開業医を取材するのはマスコミではなく、業界紙・業界雑誌などの小さなメディアです。都心の開業医三代目ということで、私もそういうメディアの方から取材を受けましたが、「締め切りが間近で急いでいるので」という言葉に、「それは貴方の都合でしょ」と感じたものの、読者に伝えたいという取材の姿勢にも、また、出来上がった記事にも好感を持ちました。しかし、衆目を集める出来事の記者会見に病院へ取材に行くのとは異なり、メディアが開業医を取材する場合、既にメディア自らが描く構図に当て嵌まるようなコメントが欲しいだけということも多いようで、開業医としては「取材に応じるのは,彼らの間違えた思い込みを少しでも矯正する事ができたらと思うことと,専門家として正しい知識を少しでも世の中に伝えたいからである(澤村先生)」という度量も要るようです。又、「地域医療を守る為には所謂、地元の実力者達に情報の独占・操作をさせぬ為に、力量のある記者に事実を示して取材を要請する(諸橋先生)」ということもあようで、取材を受ける開業医も、常に国民の健康を守るという立場を念頭に置き、客観的な基礎データをキチンとメディアに示しながら、人間関係を密にしてお互いの信頼感を形成して行くことが大切だと思います。

○インターネットで情報・意見の交換をしている時
 既に述べましたように、インターネットは私達、開業医の意識を大きく変えつつあります。医師同士の情報・意見交換から職種・立場を超えた方々との情報・意見交換へ、それを通じて人の輪が広がりつつあります。私も平成10年末から地域・職種を超えて”医療”を語ろうというメーリングリスト、CMINC(参考1)を発足、全国各地の多くの方々と様々な情報・意見交換を続けており、自分自身でもアレコレ調べてみては情報提供をしたり、頂いた情報・御意見の中から、一般の方々にも有用と思われるものをウェブ・サイトに公開したりしています。そして実際に情報を自分で扱ってみると、入手した情報を客観的に分析・観察するとはどういうことなのか、また、その成果の中で、何を、どういう立場で、どのように、どの程度、伝えるべきなのかなど、なかなか難しいことを実感し、こうした疑似メディア体験を通じて、情報を伝えるってナンダロ、マスコミってナンダロ、と改めて考えるようになりました。

○開業医とマスコミ、そしてジャーナリズム
 今回、「ジャーナリズムとは情報の海の中から国民にとって有用なものを取捨選択し、判り易く伝える職業であり、情報を垂れ流して読者を混乱に陥れる一部のマスコミは、その本分を忘れているのではないか。本来、マスコミにも医師にも、クライアント(国民)の利益の為に自ら吟味した情報を職責を掛けて伝える使命がある筈だ(澤村)」という意見がありました。医療とは人命を預かる分野であり、しかもほぼ全ての国民に関わる分野ですので、心ある医師であれば情報の選択や利用、そしてその伝達には非常に慎重で、そのような姿勢は主に卒後の厳しい臨床研修や研究を通じて養われます。
 さて、マスコミと呼ばれる方々の教育・研修はどうなっているのでしょう。医師の卒前・卒後教育のように体系化されているという話は寡聞にして知りません。マスコミから情報として巷に流れるまでに、その内容はどのように吟味されるのでしょう。本田先生が表2に書かれたように、これからはネットのパワーをどう活かすか、が問われる時代だと思われ、一部のマスコミではインターネット経由で視聴者・読者から意見を得ようという姿勢も伺えます。しかし、幾つかの医療系MLを見ている限り、マスコミが医療情報に関して積極的に現場の声を取り入れようという動きはまだ無いようです。
 一方、現場の医師達が医療に関する記事をどのように読み解いているかを直接、国民に広く伝えようという「マスコミウォッチ(参考2)」や、現場の開業医グループから直接、国民の方々へ健康と医療に関する有用な知識と情報を提供する「かかりつけ医通信(参考3)」など、様々な試みがスタートしています。因みに後者では専用MLの仮想委員会で原稿が入念に検討され、必要とあれば疑問点は様々な医療系MLに投げ掛けられます。医療分野の情報は出来るだけ確かな多数の専門的な眼でその内容を吟味するのが当然、という思いからです。
 今後、インターネットは更に普及し、巷には遥かに多くの雑多な医療情報が溢れると予想されます。報道・評論の自由は社会制度的に保護されるが故に、人の命を預かる医師と同様、ジャーナリズムにも高い倫理基準が要求されています。そういう両者が職種を越えたネットワークを構築し、ネットを含むマス・メディア(マスコミ)を通じてより正確でより有用な情報を国民に幅広く提供する、その在り方をもっと前向きに模索する、と試みがあっても良いのではないかと考えます。

参考URL:
1)http://www.cminc.ne.jp/main/index.html
2)http://www.tochigi-med.or.jp/~shioya/m_watch/m_watch.cgi
3)http://homepage1.nifty.com/hone2/kakari/

(表1)(牧瀬洋一)
最近、食事・栄養における誤情報の流布が目立ちます。科学的手法により確立されて来た栄養学的な事実と、食事栄養学および科学の誤謬と誤解により形成された誤情報の区別が曖昧で、専門家も非専門家も Faddism(物好き)、Quackery(いんちき療法)、Fraud(詐欺)という概念を正しく認識しておらず、本来の予備的研究の結果を利用して聴衆を煽り、読者・視聴数の増加を目指す風潮が懸念されます。例えばテレビ番組の顔、M氏及びプロモートするスタッフ(A)、或る種の食物の健康上有用性を強調する人達(B)。そして医師や権威と考えられる栄養学関連のゲスト(C)という良く見られる構図ですが、これらは夫々、Fraud、Faddism、Quakceyに相当するものです。従って大学、研究グループ、研究資金を提供する企業は予備的研究の発表には充分な注意をすべきであり、ジャーナリストや研究者は共に報告の正確性と大衆への情報のバランスを考慮せねばなりません。
1)food faddism:健康や疾患に対する栄養の影響を大げさに信じ込み、偏った食事療法の実践を行うことである。
2)Quackery:組織的な事業展開であり、これを促進している者達自身が誤情報の犠牲になって心からその情報を真実と思い込んでしまう傾向がある。
3)health fraud:前2者の特徴を持ち合わせるが、常に利益の面だけ考慮し行うものでり、個人・グループで栄養学的メリットの誤情報を恣意的にばら撒き、誤った主張をしているのである。

(表2)メディアのパワーとネットのパワー(本田忠)
  日本の新聞の発行紙数はアメリカの10分の1であるのに、人口千人あたりの発行部数は4倍、しかもその読者の半数近くが記事のみならず広告さえ信頼しているという調査報告があります。まさに発行部数はパワーであり、1000万部を越す既存の大新聞は確かにガリバーの如き巨人です。一方、雑誌は100万部を越してところは殆どありません。
 しかし、新聞は読まれなくなって来ている。ニュースソースの多様化に伴い、殊に若年世代の活字離れが進行しています。また、現時点ではネットの低コストが、巨大な組織力を背景に横並びの報道で世論を操作してきた大新聞を脅かしています。新聞の宅配が無くなれば購読者数は確実に激減し、広告収入が減れば紙面は確実に変わるでしょう。いずれにしても新聞の形態は変わらざるを得ない。雑誌的にはなって行くのかも知れません。
 一方、ネットにおいては小泉内閣のメールマガジンは、既に500万前後になっており、ネットのパワーは大新聞に迫りつつある。巨大メディアがネットに出現していると言えます。しかも、その読者の多くは、ネットが出来るようなインテリジェンスの持ち主であり、数は兎も角、読者の質は大新聞をおそらく凌駕していると考えられます。
 ネットの特徴は、時間空間関係のない仮想空間での双方向性を持った討論と低コストかと思われます。その中で、今、問われているのは各個人の情報リテラシー、即ち、多様な情報を検証し、批判的に読み解く能力であり、問題意識を持って、自ら行動する、いわゆる、自立した個人がどれだけ増えて行くか、これが今、私達の社会に問われているのです。匿名性に隠れた、ミニコミ特有の無責任な放言は避けなければいけないと思います。質の向上も同時に図る必要がある。ネットでは地域の医療のみならず、さまざまな職種の人々を巻き込んだ健全な地域社会を作る為の大切な基礎作りが始まっています。

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サマリー
 時代の大きな岐路にある今、国民の皆さんが旧態依然とした従来の枠組みには限界を感じておられることは小泉内閣の高い支持率からも伺えます。
 その一方、殆どの方が漠然とそれを感じていながら、「それが何か」をうまく表現できずにいるという印象もあり、愚考するに世界は「皆で幸せと楽しさを分かち合える社会」を模索し始めており、そのためには新しい発想や工夫を現実にあわせて的確な判断の元に発揮できるパワーに変えていける地道な継続性が非常に重要ではないでしょうか。
 ここに登場した現役の中堅開業医の方々は、皆さん夫々立場や考え方の違いこそあれ、多忙な日常診療の中で次の時代へ前向きに取り組もうという姿勢では一致しています。そこから何が生まれるかは未知数でも、そこには明らかに「何か」があると感じます。 
 巻頭言を書かれた安藤先生は、情熱を繊細さの中に包み込みながら時代を先取りした数々の試みをされており、今回の特集もそのような流れの中で開業医とそのほかの人々とをつなぐ架け橋の一助としたいというねらいがありますので、行間に安藤先生の持ち味を感じていただけると幸いです。
 「開業医、はじめは皆、勤務医だった」を書かれた小島先生には、歯に衣を着せぬ文章からもわかるように味わい深い先生御自身の破天荒な生き様に対する自負のようなものを感じていただきたいと思います。
 「医療の多様性」については、外山先生に多岐にわたる課題を簡潔にまとめていただきました。
 「医者と患者」のところは、今井先生・外山先生・川島先生にまじめな論文で課題の一部を書いていただきましたが、そのほかの話題は今回の企画の意向を踏まえて「ワイワイガヤガヤ」の座談会形式としてみました。
 「開業医と組織」のところは、それぞれが独立してコンパクトにまとまっており、個別に味わっていただける内容となっております。
 「開業医とマスコミ」については、医療やマスコミに関係する様々な方への安藤先生を中心とする細やかな気遣いと提案が全体に散見される奥の深い文です。
 「医療と政治」については、牧瀬先生と本田孝也先生によるEBMの方法論を取り入れた「受診抑制策による犠牲者の検討」は玄人好みの説得力のある論文に仕上がっており、その他の多くの問題については本田忠先生によってきちっと整理していただきました。
 医療を軸にしたこの特集を御読みになって、皆様が御感じになられることはさまざまでしょうが、これからの医療の在り方として私たちには以下の二つの道があると考えています。
 一つは現在、小泉内閣が進みつつある道、即ち財政支出を減らすことを最大の柱として、市場原理を導入しながら医療費削減するという方法ですが、この場合、透析のようなウマミのある分野に外国や営利企業の投資が集中し、国民が本当に必要とする医療現場には今以上の致命的なダメージが加わって我が国の医療内容は悪いほうに変質すると予測されます。
 もう一つの取り得る道は、国内的にも国際的にも明確な政策を共有した上で医療戦略を展開するという方法です。これは現在採られていない方法で幾つかのやり方が考えられます。例えば、一次医療と高次医療の役割分担を明確にして、公共性の高い医療分野を堅持しつつ高度な医療を更に展開することで国内の医療産業を発展させ、国際的には日本人特有の緻密で繊細さが必要とされる医療分野を強くアピールして行くという方法などがありますが、現在行われているこの種の医療改革はいずれも中途半端であり、実効ある制度を確立するには国民の合意のもとに思い切った政策を展開することが望まれるところです。
 いずれの道を選択するにしても、良質なものを得るにはそれに見合うだけのコストや体制を必要としますが、技術立国であるはずの我が国が結果的にみずから質の低下を求めることは国の存亡にかかわることでもあります。
 国際的には情報化社会、国内的には高齢化社会を迎えた今こそ、必要なコストを必要なところに適切に掛けて今後の国の礎を作ることが非常に重要であると考えます。
 従来の我が国の医療政策は、昭和56年の大幅な薬価削減以来、経済状況や社会情勢などを考慮することなく、バブルの時もそれ以外の時も財務官僚主導のコスト削減のみを全面に打ち出した政策一本槍で推移して来ました。
 考えてみると、資源に乏しい我が国は戦後の或る時期には「技術立国」を掲げて東西冷戦という特殊な世界情勢の中で米国の傘の下にそれなりの成果を挙げて来ましたが、米国中心のグローバルスタンダードが叫ばれている現在、世界は明らかに新局面を迎えています。
 不況が長引く今、原点にもどって国内で優れた技術を再構築しなければこの先国際的に生き残れないことは明らかであり、そのために必要な国としての国民に対する愛情と国家としての信念は緊縮財政を掲げるだけでは達成されるものではなく、二次産業的な製造業中心社会から三次産業的な知的産業への構造転換がなければならず、今こそ確実に新しい時代へのスタートを切ることが大切なのではないでしょうか。
 幸い我が国には明治維新以降積極的に外国の先進技術を取り込み我が物として来た実績があり、最近の医療分野やコンピュ−タ分野を含む下支えする技術者を軽んじる傾向が気にはなりますが、国民の皆様の意識に変化があれば世の中はきっと良い方向へ変わると信じております。
 希望を持って試行錯誤を繰り返せば、たとえ達成されなくとも近づくことはできますが、リーナス・トーバルズが「それがぼくには楽しかったから」(小学館プロダクション)の中で書いているように、「人生はなんであっても、この順序で進んでいくんだ。・・初めは生存に関係していて、それから社会的なものへと移り、最後は純粋な楽しみになる」というような前向きの変化を皆さんと共に目指していきたいものです。
 実際の医療現場に開業医として携わっている私たちといっても、お互いに得意とする分野や地域の状況なども異なりますが、それでも現場を知る者同士として現在進行中の医療制度改革の方向性には全員が強い危機感を抱いており、その辺りを読者の皆様に少しでもお伝え出来れば幸いです。
 もう一度繰り返しますが、国民全体が日本経済は縮小経済への移行だけで再浮上することはないことを明確に認識することが新しい時代へスタートを切るためには必要であり、医療の抜本的改革のためには医療現場を知る人々の意見が政策決定へ反映されることが望ましく、今回の試みは現場の第一線で活躍している先生方からの情報発信ということで従来の情報の伝達方法を変えるかもしれない試みであることを申し添えます。
 最後に、年長者ということで私が締めを書かせて戴きましたが、国中の良い開業医仲間とこのようなネットを通じた特別企画を持てたことは大変幸せなことであり、時代の変化を身にしみて体験させていただきましたが,この特集をお読み頂いた皆様とも何がしかの共感をわかちあえれば尚幸いとするところであります。
 御拝読、ありがとうございました。