DrSAWAMURAの甑島オフミレポート 新宿さくらクリニック 
泌尿器科 澤村正之
ssc@medical.email.ne.jp

甑島オフレポートPart1・オープンクリニック編
今回の目的地・甑島(こしきじま)に行く為には羽田から鹿児島空港へ,空港から串木野市までバスで移動。串木野から高速艇で甑島へ行きます。夫々の行程が2時間弱。一番の関所はフェリーです。高速艇で1時間から2時間,普通のフェリーだと5時間も掛かるそうです。

その為、今回安藤先生,宮下さん,澤村は羽田から鹿児島入りして夜中の11時近くに串木野に着きました。

いとう耳鼻咽喉科
串木野で耳鼻科を開業されている伊東一則先生がバス停まで出迎えて下さいました。そのまま「いとう耳鼻咽喉科」へ。安藤先生が現地レポート書かれていましたが、ため息の出るような素敵な医院でした。レストランのちょっと裏手に広い駐車場を有するスペースは、ノミの額ほどの診療所で物を動かしながら診療している私にとって涎ものでした。

目の前の整形外科病院から車椅子で来れるように、とエントランスは緩やかなスロープで、トイレも広いスペースを割いておられました。ここの特徴は何といっても吹き抜けの中庭を中心にして,患者さんが受け付け,待合,中待合、診察、検査処置、ネブライザー、の各部を左回りに歩くように導線を設計されていることです。

診察室はそのまま小手術ぐらい出来そうな設備。ネブライザーが5台?ずらりと並んでいます。

中庭をガラスで囲んでいるので先生が隅々まで見渡せるし,医院全体が明るくて清潔さが強調される造りでした。壁の至るところに絵画やタペストリーが飾られていました。医院のシンボルマークのフクロウのものが多いのですが、なんと奥様の作品だとか。ご自宅にはアトリエもあって、ご本業なんですね。こんな素敵なご夫婦のライフスタイルもあるのだなと感心致しました。(戻る

下甑村国保直営「長浜診療所」
串木野から甑島の長浜港へ着いたところに瀬戸上先生が出迎えに来て下さいました。マイクロバスで伊地知先生の待つ長浜診療所へ。集落よりも海に突き出た形で,救急車も楽に入れるエントランスをもっています。離島の診療所というイメージは吹っ飛んでしまう近代的な建物でした。聞けば数年前までは集落の中にあり,施設も整っていないし,救急車も入りずらい所だったそうです。地面から1階分高く作ってあるのは高波対策とか。

伊地知先生のイメージは臨床家というよりも研究者のように感じました。勿論、日夜ご診療の激務をこなされ,瀬戸上先生とともに甑島の医療を支えていらっしゃる方ではあるのですが、理路整然として静かなお話し振りは、瀬戸上先生のエネルギッシュなイメージと好対照を成しているように思えたものですから。失礼があったらすみません。

医局にはPCとテレビ電話システム、デジタイザーなどがならび、テレメディシンの最先端の感がありました。離島医療には限られた設備と時間と人材を有効に使う必要がありますので、このようなシステムは不可欠だと伺いました。(戻る

下甑村国保直営「手打診療所〜瀬々野出張診療所」
長浜港から島の反対側にある手打港までは険しい山道を超えなければなりません。この島の山は急で高度も高く、人の住んでいる土地は海岸線に転々とありますが,それを結ぶ道路はいくつもの峠を超えねばなりません。昔は険しい山道を徒歩で行き来していたそうです。

長浜から峠を超えて瀬々野地区に。ここは有名なナポレオン岩が海にそびえたっている景勝地です。瀬戸上先生はここの出張診療所に週2回来られていると、事もなげにおっしゃいますが、広い範囲をお一人でカバーされている実感が伝わります。あいにく鍵が閉まっていて診療所の中には入れませんでしたが,その隣にある古い診療所の建物は、今、共同浴場になっていて覗かせてもらいました。この建物がDr.コトー診療所のイメージに最も近いと思いました。でもあの温泉,入りたかったなぁ。

この地区では、子供が生まれても出生届けを出しに役場に行くのに何日も掛かるので、何かのついででもなければ行きません。死んだ兄弟の死亡届を出すのが面倒なので、次に生まれた子供は出生届を出さずに兄のままで育ててしまうケースや、逆に就学が近づくと届け出たりしていたそうです。

平田清先生の「往診の 道すがら見し しんきろう」の句碑のある蜃気楼の丘は深い山の中です。この丘から少し下りたところで路上で鷲が羽を休めていました。エンジンの音に気づいたのか,瀬戸上先生の車を先導するように悠然と飛び立ちました。これなら往診の途中に傷ついた野ウサギを保護することもあるでしょう。昔はこの道を徒歩で往診されていたとか、今では自動車があるとはいえ,険しい山道を越えなければならないのは一緒です。いかにも離島医療の過酷さが伝わりました。(戻る

手打診療所の本陣、重装備診療所の目撃証言は次回です。

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甑島オフミレポートPart2・なぜ重装備診療所たるのか
甑島オフミ最大の目的は,瀬戸上先生の手打診療所の見学でした。ただ,離島医療とはいえ,医療行為は同じなので、どんなに言葉を尽くしても,またどんなに診療所を隅々見学しても,もしかして伝わる情報は一緒かもしれない,そんな不安がよぎります。しかし、そこは東シナ海の真ん中です。そんな環境で当たり前のように都会と同じ,あるいはそれ以上の医療を,たった一人でこなされている瀬戸上先生や伊地知先生のお姿を少しでもお伝えできればとキーを叩いています。一方で私のような怠け者の俗人が軽軽しく書けるようなレポートではありませんでした。失礼の段,平にご容赦ください。

さて,さまざまなメディアで瀬戸上先生の手打診療所は「重装備診療所」と呼ばれています。そのことについて「しんきろうの丘」からの道すがら瀬戸上先生に伺ったお話を参考にしてレポート致します。ですから,これの大部分は瀬戸上先生の受け売りです。

手打診療所は人気コミック「Dr.コトー」の舞台となっていますが,これを期待していると「がっかり」します。小学校を見下ろす高台にそびえる近代的な建物は都内の零細病院にはかなわないような充実した設備を誇っています。CT、レントゲンカメラ、眼圧計、手術用顕微鏡、最新式エコー、透析室(最新の透析機3台)、手術室・・・・手術室は全身麻酔に必要十分な設備を備えていて、ここで食道がんや肺がんの手術も行われています。

もちろん先にお話したデジタイザーやテレビ電話,インターネット回線を利用した臨床検査管理システム等を備えています。

驚くべきことに,これらの機器がことごとく稼動しています。どことは言いませんが巨額の補助金で購入した機材が眠っていることがよくあって、しかもその原因は「人手不足」といわれるご時世ですから,医者ひとり,看護婦7人(二人は産休中で実質5人)で19床のベッドで20人の入院患者を抱えるこの診療所がいかに凄いのか,お判り頂けると思います。

なぜこのような重装備を持つことになったのでしょうか。
答えはひとつ。逃げ場がないからです。私たちは自分の職域の中で精一杯努力をしているつもりですが,いつもすぐ近くに基幹病院や専門医がいます。大学病院ならレジデントの上にスタッフがいます。そうやって逃げ道がある世界の私からみて、手打診療所の置かれている立場は、東京でメールで紹介されたり,瀬戸上先生のご講演を伺っても伝わらなかったものでした。大きな期待が島民から向けられているし,手打診療所は見事にそれに応えておられるのです。この島にとって「かかりつけ」と「基幹病院」は手打診療所なのだと思います。

瀬戸上先生が無鉄砲なわけではありません。同じ術者でも環境が違えばできないことだってあります。術者と設備・環境の限界について車中言われていました。肺がんの手術がここでできたら、食道がんもできるだろう。そうやってステップアップしてこられたそうです。

このようにご自分の限界を広げられる秘密のひとつには、「スタッフを教育して自立させる」ことにあると思いました。診療所に併設する健康管理センターをご紹介された時の先生のこの一言が心に残りました。一人一人のスタッフが確実に与えられた以上の仕事をこなしていればこそ、瀬戸上先生の超人的な御活躍があるのだと思った次第です。

フウ,私には荷が重かったです。次回はちょっと息抜き、「オフミこぼれ話」です。(戻る


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甑島オフミレポートPart3:オフミこぼれ話
甑島オフで日焼けした腕が痒い澤村です。今回は甑島オフミでのこぼれ話を一席。

(その1・台風)
甑島には行きたいが,もしも台風が来ては帰れなくなってしまいます。今回金曜の夜に東京を発って日曜の夜に帰ってくるという強行スケジュールでした。もしも台風が来ていては島に何日かとどまることもチョビット覚悟していました。ですから出発前に職員には、「もしも台風が着たら帰れないかもしれないけど,月曜日は通常どうりに出勤してね」と言い残したほどです。台風8号の影響もなくかえってこれてほっとしています。

(その2・狸)
串木野の伊東先生のお宅は市外を見下ろす高台にあります。お庭では奥様が丹精こめてとうもろこしを栽培されておられるとか。ところが今年はとうもろこしの収穫まじかに狸に荒らされてしまわれたとか。

(その3・サンドバッグ)
伊東家の一階は前庭につづく広いリビング。バーカウンターを備え,その横は奥様のアトリエになっています。あまりにも居心地がいいので天気のいい日は(天気のいい日だけ)おまわりさんが立ち寄ってしばらくゆっくりしていくとか。SECOMはいりそうにありません。その同じフロア‐にぶら下がる本格的なサンドバッグ。我が家にはばねつきのパンチングボールがありますがみんなのストレス発散の役に立っています。伊東家にもそんなストレスがあるのか知らん。おまわりさんだったりして…

(その3・鷹)
瀬戸上先生の往診車に乗せていただきしんきろうの丘から山を下ってきたところ,道の真ん中で鷹が羽を休めていました。車の音にも動じずにゆっくりと飛び上がるとしばらく車を先導するように目の前を飛んでくれました。野ウサギ保護現場はそのすぐ近くです。もしかして犯人はこいつだったのかも。

(その4・i-mode)
串木野オフの最中から大井恵美様のご協力でi-modeで実況中継。ほんの思い付きでしたがPHSは本土の市街地が限界のようでしたので,i-modeの意外な実力が発揮されました。”離島に行くならi-mode”・・・ハトやホテルのコマーシャルではありませんぞ。
高速艇が港に着くたびにアンテナがぴんと3本立ち,その隙に送受信。出航すると時期に圏外になってしまいなす。これは島に上がっても同じことで,港の周辺だけは携帯が使えますが,一歩山に入ると圏外になってしまいます。しかし海上には強いようです。

(その5・竜巻)
すでに画像のほうでご紹介がありましたが,竜巻に遭遇しました。 32フィートのクルーザー「おとひめ」は定刻を少し遅れて手打港から遊覧に出ました。5分も行かないところでクルーの携帯がなりました。私たちの確認ミスでひとり乗せ忘れてしまったのです。港へ戻って再度出航。何やら雲行きが怪しくなってきました。前方に海から上空に向かって竜巻発見!!もしも定刻通りに行っていたらちょうど竜巻の発生したあたりにいたかもしれません。あやうく竜宮の使いに連れて行かれるところでした。

(その6・わらじ)
手打診療所では瀬戸上先生はわらじをはいておられます。患者さんが作ってくれるんだとか。一足分けていただいてはかせていただきました。足裏の刺激が気持ちいいですね。もしかして瀬戸上先生の健康の秘訣は足の裏にあるのかも。

(その7・しょうゆ)
手打湾でバーベキューをいただきました。採れたてのお魚がつぎつぎに。あらのいっぱい入った味噌汁もとってもおいしかったです。私は大分に2年住んでいましたので甘い九州のしょうゆは慣れていましたが、関東風がいい方はしょうゆ持参がよいかもしれません。

(その8・流木)
バーベキューと焼酎でいい気持ちになってひとり酔っ払いと化した澤村は波打ち際へ。足先だけ入るつもりで靴を脱ぎ水に入ると,オオ気持ちいい水面を石鯛の稚魚が2匹手ですくえそうなところを泳いでいきます。その視線の先に人の頭ほどの漂流物を発見しました。流木です。それに近づくとすでにおへそまで水に浸かってしまいました。流木を拾い上げ、診療所のスタッフにお願いして東京まで送ることにしました。
「南の島のティオ」という小説の中に流木を求めてやってくる日本人の女性彫刻家が出てきます。ちょっとそれっぽい雰囲気に酔ってしまいました。


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小型ヘリ、パイロット教育
井上@北九州です。

広島から北九州、久留米、佐賀、熊本、都城、鹿児島、下甑島、長崎、福岡、飯塚、宇佐とデモや訓練に参加しながらのヘリ行脚から無事帰ってきました。

4人乗りですからコックピットは丸見えで、しかもずっとヘッドホンでパイロットの会話を聞いていましたが、これが非常に勉強になりました。新米パイロット(といっても5年の経験)の慣熟飛行も兼ねていましたので、ベテランがあれこれ指導しているわけです。私にはチンプンカンプンの技術的なこともありましたが、下記のような指導がありました。
  1. 能力以上のことはするな!
    • このまま飛んだら洋上飛行が長くなる。もし急に雲が降りてきたら君の技術では対応できない。そうなった  らどうするつもりなのか。だったらちょっと遠回りでもきちんと島伝いに飛べ。俺がいるからだというのでは  なく、君の今の技術できちんとやれる範囲で飛べ。
  2. 周囲の状況に目を配るのを怠るな!
    • 今の状況ではまず心配ないが、安心して飛ぶ癖をつけたら直らない。どんな時でも上下左右、雲の動きに目配りしながら飛ぶんだ。これを体に叩き込め。
  3. サインを見逃すな!
    • 地上の煙突からちょっと出ている煙ひとつでも風向きの参考になる。どんなことでもサインになるんだ。君はまだそれができていない。
  4. 計器をきちんとモニターすることができていない!
    • 計器が出してくれる情報を常にきちんと掴んでおかないと正確な飛行ができない。慣れで飛んだらだめなんだ。
  5. 残念だが安全が最優先だ。この雲では危ない。引き返せ!
    • こういう視界では水平が目視で把握できなくなってしまう。ロストにならないためにこれだけは絶対に守れ。

どれも当たり前のことですが、基本を体に叩き込んでいるのが本当のベテランなんでしょうね。ちょっと飛べるようになるとそれが甘くなると。耳が痛い思いでした。。。。(戻る


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盆地世界
川内@久留米です。

私も甑島に渡り、一足早く1泊で帰ってきました。ML等で既に知っていたことを、自分の眼で見て肌で感じてくることの違いが改めて実感できた思いです。

さて、甑島へ渡る前までの行動ですが、まず土曜深夜00:36久留米発の「ドリームつばめ」で串木野まで。学生時代以来の夜行列車でもあり、後ろの学生さん達の囁きが耳につき、ほぼ一睡もせずに夜が明けました。

05:34に串木野の次の湯之元駅で下車。ここで「日本朝風呂党本部」のある温泉(雰囲気は銭湯・なんと120円!)に浸かってきました。硫黄の香りが今でも印象に残っています。湯之元のバス停で新聞を読んでいる間に上川内行きのバスが出てしまい、JRで串木野へ。高速船では船底の桟敷で爆睡しておりました。ここから先は、他の皆さんと同じ行動であります。

下甑村を一回りする間に気付いたのは、村内6つの集落が地理的に完全に隔絶されており、陸路は山越えくらいしかなく、それぞれが「村」を形成しているところです。

ある地誌の書籍で、「日本人の原風景は『盆地世界』である」という記述を思い出しました。地形の厳しい日本では「見渡せる範囲」が生活基盤の単位であり、文化や気性もその範囲で独自に発達してきたという理屈であります。入江の漁村も四方が海である「盆地世界」と言えましょう。

いつしか、交通の発達と『盆地』間の交流の活発化とともに『盆地世界』の独自性は薄れ、より大きな『盆地』が文化の同質性の単位となっていきます。

しかしながら、甑島では物理的に集落が点在しており、その『間』が認められませんでした。診療所の事務職員曰く「集落ごとに気性や言葉が今でも全く異なるんです。『方言』と言ってもいいくらい。」と。本土の山間部とは異なる集落の孤立性即ち『盆地世界』を感じた瞬間でした。

しかし、小さくても生活単位である『盆地』には継続するための資源が必要で、その一つが医療であります。診療所がない集落にも臨時診療所があり、週2回、手打や長浜の診療所から瀬戸上先生や伊地知先生が巡回診療に携わっています。こうやって、『盆地世界』は継続していくのでしょう。

人がそこに住む限り、必要な社会資源は投資していくべきなのでしょう。その「資源」は、モノでありヒトであるわけで、「ヒト」は数のみにあらず、ということを実感した旅でありました。(戻る

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KAWAUCHI Atsufumi, M.D.
Medical Officer
YAME Public Health Office
FUKUOKA Pref. Gov.
Department of Health Policy Science,
Division of Public Health
Graduate School of Medical & Dental Science
Tokyo Medical & Dental Univ.
e-mail: kawa-a@par.odn.ne.jp
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