甑島オフミレポート


甑島オフミレポートPart4・海の教授、よしオジのお話
島では手打診療所の皆さんのほかにも大勢の方にお世話になりました。なかでも漁師の地蔵嘉雄氏さん (通称よしオジ)には家族のように接していただきました。その様子を 国際仁友病院の宮下さんがレポートしてくださいました。

【漁師としてのよしオジ】
 よしオジは今年67歳。下腹が出ていて、顔がしわだらけですが人懐っこいやさしい笑顔に誰でもすぐにファンになってしまいます。よしオジの漁法はウエットスーツで、海底20〜30mは素潜りして、赤ハタ・グレ・石鯛などの大物のおさかなを銛一本で突いて取る、シンプルなものですが、「網で取ったらこんなにうまいものは食えねえ」とおっしゃる通り,よしオジの捕った魚は一味もふた味も違っておいしかったです。潜っている間の船の舵は、奥さんが担当します。潮の流れや、経験から、よしオジの行動を判断して、船を操るそうです。長年連れ添った、ご夫婦だからこそ出来る、あ・うんの呼吸でしょうね。船の操舵は、奥さんじゃなければダメ!との事でした。
 安藤先生たちとわかれて臨床検査MLのメンバーはもう1泊島に残ることにしていました。できたら釣りもやってみたいと思っていましたが,あいにくの天候で断念せざるを得ませんでした。ところが夕食前の散策を終えて、宿に引き上げる道すがら偶然にも、よしオジに声をかけられました。「何だ、まだ島におったんかぁ?」の声に振り返ると、笑顔満面のよしオジが自転車に乗って登場。「せっかく来たから釣りでもしたいだろう。よし!これから行くか?」と言う事で、イカ釣り漁に連れていっていただけることになりました。
 湾を出ると、思ったより、波が高く、暗い海は、とても、スリリングです。舵を取っているのは小学校高学年のお孫さんでしたが、さすがはよしオジの孫 ,なかなかの熟練技です。時々、「もっと、沖に向かって!」とか「そのまま真っ直ぐ!」などの声がかかっていました。途中から、よしオジが舵を取ります。イカのいる場所は、よしオジの頭の中に入っているようです。灯台の位置、山並みの重なり、潮の流れ・天候・時間、他の船の位置などのいろいろなデータから正確にポイントを見極めます。まさに海を知り尽くした海の教授です。
 漁場について、イカ釣り開始!釣りを始めて直ぐに、よしオジは赤イカを釣り上げました。小一時間程度で10杯程度の釣果。せっかくだから、私もチャレンジ!船の縁につかまり、おそるおそる糸を操るが・・・やっぱり、釣れませんでした。教授曰く「そこが、素人とプロの差!」だそうです。
 
【よしオジのもてなしの心】
 島に着いた初日に瀬戸上先生と手打診療所の皆様が長浜湾で歓迎のバーベキューを催してくださいました。そこに出されたものにはよしオジの優しさが詰まっていました。「せっかく島に来てくれたのだから、美味しい物をたくさん食べてもらいたい!」「瀬戸上先生の大事なお客さんだから!」瀬戸上先生からよしオジに伝えられた、私達への歓迎の思いが、込められていました。
  • 赤ハタ:とても貴重な魚です。私達に食べさせたい!この魚を捕るために、どれだけの時間を掛けたのでしょうか?
  • 亀の手:始めて食べる方も多かったのでは?遠方の島で取ってきたものだそうです。今の時期では、実が細くて食べれないとのことで、私達が食したものは、以前にとって、冷凍保存をしていたようです。
  • みそ汁:漁師料理の定番!何種類の具材が入っていたでしょうか?細い竹の子が入っていたのに気が付きましたか?これも、以前に裏山で取ったものを、茹でて、冷凍保存していたものです。
  • そのほかグレ,イサキ,石鯛,甘エビ、食べきれずに、残してしまったのが、心残りですが。瀬戸上先生とよしオジの歓迎の心遣いは、みんなの心に浸み入った事でしょう。
【よしオジ(患者)から見た瀬戸上先生】
・・・・よしオジの自宅に招かれて、島の湧き水で割った焼酎を飲みながら聞いたお話。
 よしオジ(笑いながら)「あの先生は、短気な方でなぁ〜」海の荒くれ男に、短気と言わせるとは・・・。一刻を争うような状況下、生と死が背中合わせの離島医療では、この短気さは、重要なのかもしれません。
 「いやぁ〜、糖が出ていてよぉ〜、目が見えなくなると困るから!って、瀬戸上先生に言われたんだぁ〜」以前、90Kg以上あった体重も、今では、70Kgまでダイエットしたとのこと。瀬戸上先生に説得されて、お酒をやめ、食生活を改善したそうです。食事指導は、難しいですよね。相手は、海の猛者!どうやって、指導しているのか?
 「この前の健康診断で、血糖が134もあったんで、酒は控えているんだよ。」確かに、全く、お酒は飲んでいませんでした。こんな患者さんばかりだと、指導は楽?その前に、医師と患者との信頼関係を築く事に、どれだけ苦労されてのか?
 そう言えば、海水浴に行く前に。瀬戸上先生から「深いところで、泳がないようにね!」と言われ。それを聞いていた島の人が「俺の仕事を増やすなよ!」って事だろうと、笑っていましたが。島民全員が瀬戸上先生の多忙さを理解していて、極力仕事(病気になる事)を増やさないように自己管理しているのかもしれませんね。
 よしオジは、20〜30mも素潜りしますから潜水病になることもしばしば。「先月も鹿児島でタンクに入ってきたんだよ」高圧酸素療法を受けてきたのでしょうね。「瀬戸上先生が電話しておいてくれるから、親切にしてくれるんだ」と眼を細めながら、よしジイが話す。お孫さんの自慢話をしている時と同じ顔だ。
 医療訴訟が頻発する昨今。しかし、このような、医師と患者の信頼関係の上では、無縁なことなのでしょう。甑島での離島医療の根底にあるのは、瀬戸上先生が築き上げた、医師対患者の究極の信頼関係にあるように思えました。

((林さん談))
 遠遊会の魚をさばく粋な姿!キップのい磯の話しっぷりから瀬戸上先生と仲良くなるのもうなづけます。ファンクラブもできそうですね。
 「診療所に高圧酸素療法を整備したい」との瀬戸上先生のお話しを聞いた時には、利用目的に潜水病を気がつきませんでしたが、納得です。(戻る

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甑島オフレポートPart5・ヘリコプターがやってきた!
今回の甑島オフには,離島医療をテーマにしているため、なんとヘリコプターまで参加しました。ヘリコプターを飛ばすと一口で言っても,実は相当な費用もかかるし,申請書やら何やらでとても大変なことだそうです。MSA(株)さんは、「空の医療タクシー」という発想から,気軽な値段でヘリコプターを利用してもらおうと企画,努力されている会社です。今回は MSA(株)の全面的なご協力と井上先生のご尽力で実現致しました。井上先生にそこのところのいきさつをお話いただきました。第2部は,オフミのメンバーからヘリコプター搭乗記を一言づついただきました。
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【第1部】下甑島ツアーレポ  ヘリ班 井上@北九州

 「ヘリでミニオフに参加」という前代未聞の偉業(?)は次の一節から始まった。
>井上@勤務医です。
> 甑島ツアーで盛り上がってますね!
>行くのがなかなか大変なようで、「いよいよとなったら」とか、「いっそのこと」とかの表現が出てますので、それなら私も、「なんならヘリで送迎しましょうか」と投げかけておきます。

 実のところ、甑島は鹿児島県の離島らしい、というのを知っていただけで、その時点では、どこにあるのかすら全く知らなかったのである。
 そしたらなんとすぐに、「瀬戸上@下甑村です。ヘリコプターを利用される方にはばっちりヘリポートは整っています」とのレス。
 タケコプターかと見紛うような何とも頼りなく可愛い小型ヘリ。ま、写真を見て頂いてからと、「船で行くのも味があるでしょうが、命に未練がなく時間がネックになるかたにはお勧めです」と注釈してCMINCの安藤管理人に写真を送ったところ、
 「東海大の山本センセにはあんなにドクターヘリのお話を伺ったんだから、この際、自分でもヘリを体験してみるのも良いかなあ。でも、何だか井上センセ、何かちと、気になるコメントを書いてたけど・・・と思いながら、よし、ヘリにするぞ! と意気込みつつ、その井上センセの画像をお待ちしておりました。で、先ほど・・・。うっ、オヨヨ。(@_@;;)」
と、管理人はまんざらでもない御様子。

 おおミエを切った手前、引っ込みがつかない。「もうちょっと早く決めることができたら飛ばせたんですけど」という言い訳を頭に描きつつ、ともかくちょい聞いてみようと、本年4月末の初対面以来、空飛ぶ医療タクシーの夢を語りあっていたMAS株式会社の森憲吾社長に電話。
 「あのですねぇ、7月末なんですけど、ヘリを九州に飛ばせますか?」
 「えっ、7月ですか? えっと、急に言われても・・・・・いや、やりましょう!」

 7月28日午後1時、ヘリは空気も肌寒い上空1800メートルの洋上を飛行していた。まだ甑島は見えない。見えた! あれが甑島だ。 前方に迫ってくる霞みのかかった緑の島影。眼下には豆粒のようなフェリーボートが島に向かって航行している。きっとミニオフ参加の誰かはあれに乗っているのだろう。
 高度を下げると島がぐんぐん近づいてくる。海辺に張り付くように存在する村落、その背後に広がる山は意外に急峻である。旋回しながら高度を下げ、山上のヘリポートを視認した後に風向きを確認しながらアプローチについてパイロットが打ち合せをしている。ヘリポートは尾根にあって、村落の反対側はそそりたった崖である。線のような細長い白い砂浜に薄い黄緑色の浅瀬が紺青の広い海につながっている。「きれいですねぇ・・・・」とベテランパイロットでMAS副社長の日置さんがつぶやく。

 6月初めに発案して以来、なんと慌しかったことだろう。いくらなんでも私が下甑島に行くだけのためにヘリを飛ばすわけにはいかない。「空飛ぶ医療タクシー」を実現するための一歩として貴重な機会である。
 広島を起点に、北九州、久留米、佐賀、熊本、都城、鹿児島、そして帰途は長崎、福岡、飯塚、宇佐とまさにびっしりのフライトスケジュールを立てた。趣意書の作成、離発着の許可申請にはじまって、親しい医師への呼びかけ、体験搭乗の段取りなどなど、電話、電子メール、ファックスと連日のように打ち合わせが続いた。着陸場所で悩みの多かった長崎は、それならいい場所がある、役所に聞いてみる、ということから始まって話が次第に大きくなり、この機会に、民間ヘリが医師や医療器材を運び、防災ヘリが負傷者を搬送する防災訓練をやろう、ということになった。綿密な訓練計画が添付ファイルで届く。ワクワクしながらも、これはえらいことになったと。

 下甑島のヘリポートには、瀬戸上先生が手配して下さったのだろう、村役場のかたが来ておられた。車に乗って山を降り、そのままバーベキューパーティーに参加。旧知は八女保健所の川内先生だけだが、瀬戸上先生をはじめ村のかたがたの暖かいもてなしを受けて、何の違和感もなく溶け込むことができた。同行した、いつもは気難しい長男が「こんなおいしい魚は食べたことがない」と感激している。私も何の遠慮もなくずらっと並んだ御馳走をパクつく。
 食べながら安藤先生をはじめ皆さんに挨拶して歓談する。とはいえ、この日に鹿児島に帰らなければならないので、天気が気になる。快晴は快晴なのだが、少しもやがかかっているのが心配である。下甑島へも雲を避けるために高度飛行を余儀なくされている。
 きりのいいところを見計らって皆でそれぞれ手配の車に乗ってヘリポートに行き、体験搭乗をすることになった。尻込みする人が多いかと思いきや、ほとんどのかたが希望してくれ、それぞれ、嬉しそうに体験を語ってくれた。ヘリにはさんざん乗り、しかも患者さんの搬送であまりいい思いはないはずの瀬戸上先生も搭乗して下さったのは嬉しかった。
 ひと通り終ったところで、記念写真を撮り、車に分乗して村に帰る皆さんを見送る。ヘリを点検していよいよ離陸なのだが、日置さんがしきりに雲を気にしている。私には悪くないように思えるのだが、どうもヘリにはあまり好ましくない気象らしい。それでも、今日は鹿児島に帰着していないと明日長崎に行くことができない。ともかく離陸し、雲の薄い南方の海上に飛行しながら高度をとる。ところが、いくら高度をとっても視界がひらけない。「これはだめだねぇ」と日置さんがつぶやく。鹿児島空港からの気象情報では局地的に雷雨らしい。ついに下甑島に引き返すことになった。燃料節約のためにエンジンをアイドリングにしてオートローテーションで降下する。車で言えばニュートラルにして走るのと同じで、考えてみればえらく恐いことなのだが、降下速度が速くちょっと静かになったぐらいの違いしかなく、言われなければ気がつかないぐらいである。
 上空からは視野が充分に得られないので海上すれすれに飛んで下甑島の村落から逆上する形でヘリポートへ。もう雲に覆われる寸前であった。タイミングがちょっと遅ければ空き地に緊急着陸しかなかったわけで、こういう判断はまさに熟練のなせる技である。
 飛び立ったはずの4人がすごすご帰ってくるというのは気恥ずかしいこと夥しいが、こればっかりは仕方がない。瀬戸上先生に事情を伝えると、何ひとつ迷惑そうな顔をせず、宿舎を用意して下さり、宴席への参加も急遽アレンジして下さった。

 懇親会の後、宿に帰り、作戦会議である。長崎での訓練は明朝10時30分開始。とすれば早朝に下甑島を発たなければ間に合わない。快晴であることはわかっているが、局地的な気象は特に洋上は不安定である。しかも、高気圧にすっぽり覆われた状態というのは風がないためもやがかかりやすいという。長崎に直行できないことはないが、気象条件の制約の多い洋上飛行が長くなり、燃料がぎりぎりである。訓練に使う予定の医療器具は鹿児島空港のホテルに預けてあるし、合流予定の森社長は既に鹿児島に入って待っている。
 それに、絶好の機会と、必死になって行政や消防、県の防災ヘリに呼びかけて訓練計画を立てた友人の医師に、今さら「明日長崎に行けないかも知れない」というのをどう伝えたらいいのであろうか。携帯電話に何度も手をやり逡巡したあげく、意を決して電話する。「え、まだ甑島!? 明日間に合わないかも知れない!?」、声が固まっているのが明らかにわかる。今さらシナリオをどうやって変更するのか。彼の冷や汗が目に浮かぶ。「とにかく何とかするよう必死になってアレンジしているから」と伝えて電話を切る。鹿児島経由でもうまくいけば午前10時過ぎには長崎に到着できる。さてどうするか。月がおぼろで星がすっきり見えない夜空を何度も見上げながら、これ以上考えても仕方ないので朝の気象で判断することにして床につく。

 午前6時半、目が醒める。日置副社長の姿は既にない。外に出て気象を確認しているようだ。ヘリポートからは携帯電話が通じないので、空港や地上支援員とギリギリまで調整しなければならない。結局、午前8時に離陸して鹿児島に向かうとの最終判断がなされ、役場のかたに電話してヘリポートまで送ってもらう。決していい条件ではないが、島の南に発達した雲があり、このタイミングを逃したら雲が通過するまで飛べない可能性が高いという。
 ヘリは無事離陸。島を左下方にみながら村落に別れを告げ、一路鹿児島へ。ところが、ヘリ右後方になんと竜巻が。かなり離れてはいるものの、あれに巻き込まれたらひとたまりもないと肝を冷やしながら、往路とは逆に低空飛行で飛ぶ。陸に近づくとともに次第に高度をあげ、串木野の家並みが見えた時は本当にほっとした。午前8時35分に無事鹿児島空港に着陸。既に手配してあった給油車が手早く対応してくれ、社長と合流し医療器具を積み込んで再び離陸し、天草上空から島原をかすめるように飛行して午前10時10分に無事長崎空港に着陸することができた。長崎での訓練は多くの人の注目を浴び、大成功であった。

 それにしても、陸からたかだか50キロ、離島とはいえ、ヘリならどうってことない、というのは素人の勝手な思い込みであって、空を飛ぼうが海を渡ろうが、その距離は甘いものではない。はからずも、大海に浮かぶ離島の厳しさをしみじみ思い知らされたのである。
 この下甑島で瀬戸上先生がどんな思いでどんな医療を展開してこられたのか、充分に見聞できなかった私が書くのは控え、そのレポを他のかたに譲って拙稿を終えたい。

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【第2部】ヘリコプター搭乗記
オフミ参加者からヘリの搭乗体験をレポートしていただきました。まずは2回ものって,免許がほしいとまで気に入っていた安藤先生から。

《安藤先生談》
 R−44という小型ヘリに乗ってみて、先ず、そのドッシリと安定した飛行振りにビックリ。勿論、パイロットの腕が良いからでしょうけど、離着陸に際して揺れ・ショックも殆ど無く、上空でも気流に踊らされる、ということも無いんですね。また、万が一、エンジントラブルが起こっても、その侭、墜落する訳でも無い、竹蜻蛉が降りてくるような形で降り得る、というのも、ちと、面白いなあ、と思いました。
 次にプロペラの長さが案外、短い・・・これは左程、広い場所がなくても離着陸できそう。実際、パイロットの方曰く、「手打の浜にだって降りられますよ」とのことで、小型ヘリの離着陸体制をアチコチに整備し、その規制を実際に即して緩和すれば、相当に便利な交通手段になりそうですねえ。(^_^)
 また、飛行スピードがかなり速いのにもビックリ。常時、140〜170km/hで飛ぶ、とのことで、ほぼ直線的に飛べることもあり、これは高速道路をクルマでかっ飛ばすよりも遥かに速い。救急救命は時間との戦いですから、救急車から救急ヘリへのシフトはもっと強力に推し進めるべきだろうなあ、と強く思いました。実際、欧米ではもっとヘリが活用されている、と聞いており、遅々として進まぬのは我が国の役所の怠慢、じゃないでしょうか・・・。(-_-;)
 ただ、便利な小型ヘリにも意外な盲点。有視界飛行であれだけのスピードで飛ぶとなると、風よりも霧や雲が問題になり、飛ぶか飛ばぬかのパイロットの的確な判断力が、非常に重要。で、一機4千万くらいの小型ヘリなら小さな会社でも買えそうですが、しかし、クルマのように誰にでも運転できる、というものでも無さそうです。空のタクシーとして、専門のパイロットによる安全な乗り物としての活用法を考えていくのが、矢張り良いのでしょうかねえ。(^_^;)

《梅木さん談》
ヘリコプターは初めてで意外にキャビンが狭くへっぴり腰の搭乗でしたが、静かでな めらかなフライトに驚きました。離島で対処できない事態が生じたときに頼りになる 搬送手段だと実感しました。ただ悪天候の場合飛べなくなることもあるようで、全天 候型のヘリがあればもっと頼りになるのではと思いました。

《川内先生談》
ヘリコプタに乗るのは今回が二回目。前回は東京消防庁のスーパーピューマという中型機でした。乗り心地や安定感はあまり変わりはなかったですね。今回の小型機は軽症者の気軽な移送を実現するためには良いアイテムであり、ドクターヘリや消防・自衛隊ヘリとも活用の棲み分けは可能と思います。航空業界は規制以上の行政介入も多いと思います。安全性・公益性・公正性を考えると、微妙なバランスのような気もしますが、生命第一という観点から、既成概念を超えた努力が必要であると思いました。

《宮下さん談》
小型ながら、揺れが少なく、予想以上の乗り心地でした。ヘッドホン・マイクでの会話も、違和感無く行えました。直線で行動できるので、行動時間短縮には、最適な乗り物でしょうね。ヘリポートに向かう道は、狭く曲がりくねり、到着するまでの時間が、とても長く感じられました。一刻を争う患者を乗せて向かう時の事を考えると、厳しいのでは?ヘリポートが、診療所に近ければ、もっと良いと思いました。

《熊本先生談》
私自身、ヘリに乗るのは2度目でした。鹿児島市立病院の救急にいたころ、種子島へ飛んで患者さんを鹿児島に連れ帰ってきました。乗るとき先輩たちに揺れるぞと脅されたのでしたが、全然快適なフライトであり、また患者さんも過呼吸症候群でしたので下を見ている余裕もありました。甑島での今回のフライトは、種子島まで飛んだ自衛隊の双発の回転翼でもなく4人乗りで小さく少し大丈夫かなかなと思いました。ところが乗ってみると快適どころか自動車で空を飛んでいるいるような快適さで180度の視界を楽しみました。パイロットの技術なのかもしれませんが、自分でも操縦したくなるようなフライトでした。またスピード感がはじめはなかったのですが、パイロットさんがでは低空で飛びましょうと、海面すれすれに飛ぶとすごいスピードでした。アメリカ大統領だっていつも移動はヘリですね。昭和天皇も伊豆大島にへたしかヘリで行かれていました。ヘリの安全性は確かなものでしょう。医療での活用も推進されるべきと考えました。

((林さん談))
ヘリにはヘリスキーで10人乗りのものに2回経験がありました。また、当地各務原には川崎重工がヘリを製作しており、救急ヘリも見学したことがありましたので興味もありました。今回のR44はそれに比べ構造が簡素でしたから乗り心地や騒音を心配しましたが、遜色ありませんでした。
実際に医療に利用するには医療機材の乗るスペースが限られ、座位となることから安定した患者さんに限られてしまうのでしょうか。航空法?のからみなど色々の制約がありそうで、ヘリポートや地上員の配備など整備しなければならないことがありますが、その点がクリアできれば思ったより手軽に利用できるのですね。
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甑島オフレポートPart6・オフミは出会いの宝庫だ
今回はオフミ参加者からの一言メッセージです。瀬戸上先生に会いたいという同じ願いを持った,世代も職種も違う18名のひとびとが、メーリングリストというきづなに結ばれて遠く東シナ海の上でであう,どのことだけでも今回のオフミが持つ意義は大きかったと思います。

《安藤先生談》
○メーリングリストについて
 インターネットは時空を超える・・・今のところ、ほぼ国内だけですが、一気に全国各地に知り合いが出来て、ちょっとした情報・意見交換は診療の合間にもパソパソ。そうなると会って話がしてみたい、出向いて現場を見てみたい、ということにもなり、全国各地へ極楽蜻蛉、という楽しい時代になりつつあります。(^_^)
 今回のようにツアーの参加者が各地に散らばっていても、HPやMLを利用して事前の打ち合わせも容易、私のような”井の中の蛙”でも、安心して遠くまでノコノコ・・・出掛ける前は電子メール、出発したら携帯で、というのが定番になってきたようですねえ。
 さて、そうして出会うオフミですが、まずメールでお互いが何を話したいのか、が凡そ判ってますから、初対面からでも旧知の間柄のように会話が弾む。また、そういう雰囲気がオフミ全体を包んでいて、事前にメールでやり取りしなかった方とでも、同じように気楽にお喋りができる、というのも良いですね。
 更にオフミで聞きそびれても、後からメールで聞けますし、慌ててアレコレ聞かなくても良いんです。ま、これは油断すると、一期一会、の緊迫感に欠ける、ということにも繋がるか、とも思いますけど・・・。(^_^;;)

○瀬戸上先生へ
 初めて瀬戸上先生にお会いしたのは、テレビ電話を試してみた時でした。どうせなら遠い所の方と、ということで、厚かましくお相手をお願いしたんですが、とても落ちついた先生だなあ、御年配だからあのような心温まるシリーズをMLへ書けるのかあ、とこの時は思いました。
 平成12年9月、その瀬戸上先生が上京される、というので、こりゃあ、CMINCの皆さんに瀬戸上先生のお話を直に聴いて貰わなくっちゃ、ということで、国立がんセンターのセミナールームを拝借、築地オフミを開催しました。この時、初めて瀬戸上先生と握手したのですが、余りにお若くてダンディーなのにビックリ。参加した女性陣からは、築地オフミのベスト・ドレッサー賞だ、という声も聞かれました。築地オフミでは向井先生の喜界島のお話に引き続き、離島医療のお話、そして離島医療学についても伺いました。キレイな風景、美味しそうな海の幸・・・いつか皆で甑島へ実際に行ってみたいねえ、という話が出たのもこの頃です。
 平成13年4月中旬、臨床検査MLに宮下さんや林さんが「Dr.コトー」の甑島へ行く、とアップされた時、私もつい、レスしちゃいましたが、まだ、ホンキ、という訳でもありませんでした。毎日の診療がある都内の開業医にとって、台風が来れば帰れなくなるという鹿児島は甑島ってのは余りにも遠い・・・。そんな迷いの5月某日、突然、携帯がなりました。「もしもし、澤村ですけど、甑島、行くんでしょ」・・・オットット。(@_@;)
 即、KOSIKIOFF-MLを発足、離島ツアーのサイトも開設した処へ、井上先生からは小型ヘリで甑島へ飛ぶ、というお話も舞い込み、もう、”行くっきゃ無い”状況に陥りました。で、MLでお互いの日程を調整し、アレコレやり取りをしているうちに、あっという間に甑島ツアーの当日になり、宮下さんと一緒に澤村センセの”金魚の糞”・・・となった次第です。(^_^;)
 甑島は長浜へ着いた時、ML御一行様というプラカードと共に、あのダンディーな瀬戸上先生がすっかり島のお医者さん姿になって、逞しいニコヤカな笑顔で私達を迎えて下さいました。長浜診療所や手打診療所では、澤村センセ曰くの「離島の重装診療所」について、キチンとオープン・クリニックをして下さり、その合間には、切り立った断崖絶壁に囲まれた離島での医療とはどういうことか、ということを、平田医師の句碑がある峠道、そして竜巻に遭遇のボート遊びを通じて、さりげなく味あわせて下いました。勿論、実際の離島医療に立ち合った訳ではありませんが、矢張り、築地オフミでお話を伺っただけの離島医療とは、大分、その重みが違って感じられ、「診療連携は必要だが、それ以前に個々がシッカリと自立していることがとても重要だ」と仰ったことが、私には非常に印象的でした。
 Localmtret-MLやCMINC−MLでは、何度も瀬戸上先生のドッシリと暖かい御送信を楽しみに拝読して来ましたが、甑島の方々の切実な要望をシッカと受け止めて、長年に渡り御自身の”医療”をコツコツと築き上げて来られた御努力の賜物なんだなあ、と、最後に先生をずっと支えて来られた奥様の手料理を頂きながら、ホントに実感した今回の甑島ツアーでありました。有難うございました。

《伊東先生談》
今回のオフミは瀬戸上先生からのメールがなければ成立しませんでした。串木野に前泊する先生方がおられるので何か情報は無いかとのことでした。それなら拙宅に泊まっていただければと軽い気持ちで返したのが良い結果を生みました。ここがメールの良さだと思うことでした。年齢や肩書きという垣根が見えない分、気楽に情報の交換が出来るツールである事を実感しました。ひょっとするとこれが人間本来の自然な交わりなのかもしれません。人が交流するとき互いにその内面から多くのものが引き出されます。瀬戸上先生からのメールが誠実さに溢れ純粋であったからこそ、そこに集った人々の純粋なものが引き出され素晴らしいオフミになったのだと思います。インターネットは善意で始められた情報交換ツールであるといわれますが最近は悪用される事が多くなっているようにも思います。誠実で純粋な情報を発信する事で人々から純粋なものを引き出し、その輪を広げていきたいものだと思います

《梅木さん談》
今回は複数のMLの合同オフミということで面識のない先生方との出会いに恵まれました。特に開業されている先生方のご苦労やエピソード(クリニックとクリーニング を勘違いされて洗濯物を抱え込まれたことなど)など新鮮な話題に驚きの連続でした。患者さんと直接接することのない検査室に勤務しておりますので、井の中の蛙にならないために、このような職種を越えた意見交換の場が非常に重要だと認識しました。またチャンスがあれば是非参加させて頂きたいと思っています。

○離島ツアーの感想
臨床検査MLの仲間から離島ツアーに誘われ、「Dr.コトー」を読んで参加いたしました。実際に瀬戸上先生の案内で診療所を見学させていただきましたが、肺癌、食道癌の手術や脳外科領域の診療(CTを活用)、実体顕微鏡で角膜に刺さった異物を取り除く眼科的処置(実体顕微鏡を重宝されている様子)、それに透析まで何から何までカバーされいる現場を見て、瀬戸上先生と少ないスタッフだけで自給自足の医療がなされていることに驚きを隠せませんでした。 ただ困る事態もあるそうで、たとえば酸素ボンベ供給のタイミングが悪いとすぐには補充ができず、酸素発生装置の導入を検討されたそうですが、装置の設置費用や発生装置では保健請求ができない事から保留されているそうです。
もうひとつ、島の人が必ず瀬戸上先生に親しみを込めて挨拶されることです。信頼の上に築かれた医療の原点を見させて頂きました。イカ釣りに誘って貰いました漁師の「よしオジ」さんなどは家族のようでした。

《三原さん談》
○メーリングリストについて
メールだけの関係でもこんなスゴイ人とメールのやり取りができるなんてすばらしいことだと思っていたら、気づいてみると、横に座ってて、一緒にご飯食べてて、雑談してて、写真とってて、ふと気づくと「カンパーイ」って...。この事態をどう受け取るのか悩む所です。今後どう成長していくのか、メーリングリストって恐いですね。

○瀬戸上先生に
大変お忙しい中10日間に渡り、ご指導いただき大変ありがとうございました。普通、病棟・外来だけでも大変なのに、それも疾患の多種多様なこと..他の診療所での外来、在宅医療、往診とさらに、手術もこれはやはり、瀬戸上先生ならではなのだと思います。それを支えているのは、「自分ならではの地域医療」を育てていく喜びがあるからなのかな?と思いました。手術室と大学をつなぐ実験があるそうで、さらなるご発展を心よりお祈り申し上げます。

《石川さん談》
大変お世話になり感謝しています。先生と地域患者さんとの信頼関係の強さがひしひしと伝わってきました。また自分のやり方に自信を持ちいきがいを感じる大切さを学びました。下甑島の豊かな自然と温かい村の人々と過ごした時間は貴重な時間です。先生に教わったことを糧にこれからの学生生活を励もうと思います。

《川内先生談》
福岡に来て以来、救急隊員を含め多くのコメディカルの方々とオフミ等で接する機会が増えました。オフミの良いところは職種と職階の壁が取り払われ、並列・対等に言葉を交わすことができるところにあるのではないでしょうか。今回は熊本教授との再会に喜び、また、東海大の市川さんが高校の後輩であったことに驚いた次第です。出会いの度に世界が拡がっていくのを、いつも強く感じています。

《宮下さん談》
病院に勤務していながら、医師と直接話す機会が少ない私達にとって。オフミは、貴重な場です。また、ネット上では判らない、お人柄に触れることで、その後のメールのやり取りが楽しくなります。

○瀬戸上先生へ
ノンフィクションは、フィクションを越えていました。想像をはるか得に超える、内容に驚嘆するばかりです。知識や技術ではなく、長年の触れ合いでのみ、得ることが出来る、医師対患者の究極の信頼関係の存在を目の当たりにすると。漫画の中の健介は、実在する健二郎を超えることは無いのでは?と思えました。

((林さん談))
 今年の初めまでは鹿児島の西に島があることなど知りませんでした。帰ってから今回の旅の話しをするには島の存在から話さなければなりません。
 その甑島の名前を見かけたのがDr.コトーの漫画本。欄外に小さく 取材協力/手打診療所ほか鹿児島県下甑村のみなさんと出ていました。
 その数日後、CMINCの紹介記事を見かけて登録をお願いし、自己紹介前にWebページを見ていたら見覚えある手打診療所の名前を発見しました。瀬戸上先生の過去の発言集から実際に意欲的な診療をなさっておられることを知り、自己紹介に書きましたら先に登録されていた臨床検査MLでよく知っていた宮下さんと盛り上がり、離島企画や三原さんの夏の臨床研修に合わせて本当に訪れることができました。こんなこと普通じゃ考えられないことです。
実際に島や診療所を拝見して、不便な場所であることをその意欲で吹き飛ばす先生や皆さんの努力を直接感じることが出来、感無量です。

《熊本先生談》
以前にも甑島に瀬戸上先生をお訪ねしましたので、今回は2度目でした。瀬戸上先生には鹿児島大学医学部の臨床教授をお願いしており大学もお世話になっております。今回も東海大学、富山医科薬科大学の学生さんも一緒で、離島僻地医療の実体験の必要性を感じました。このように全国から先生のところに集まるのも、メーリングリストの成せる技であり、情報通信のなかでは物理的距離感はITにより本当になくなってきている実感でした。しかし、参加の皆様は実際の物理的距離をさまざまな工夫で克服して、甑島に、先生に実際に逢うために集まって来ていました。電話が登場したときに「人と人とが逢わなくなるのでは」と心配した評論家がいたとの話ですが。インターネットメールの登場の時も同様の心配がされました。「ひきこもりのおたく」ばかりの世界になると。しかし、現実には電話の会話の多くは「いつ、どこで逢おうか」だそうです。このごろの私の参加するメーリングリストの話題は、「いつ、どこで逢おうか」のオフの企画の話が多くを占めてきています。メーリングリストも「縁」をもとめて逢うための道具のようです。

((平田さん談))
○瀬戸上先生へ
 水面に広がる波紋のように、ゆっくりと静かに広がっていった人の輪。それが今回の甑島ツアーとなって、また新たな出会いの輪を広げることになりました。そして、水面に最初の一石を投じたのは、まぎれもなく瀬戸上健二郎先生その人です。電子メールを交換し離島医療の様々なエピソードをうかがうたびに、ゆっくりとお話を聞いてみたい、甑島の自然と人々をこの眼で見てみたいという気持ちがどんどん大きくなっていくのです。最初は、今年の夏に一人でも島にうかがうつもりでした。しかし、瀬戸上先生のお人柄と甑島にひきつけられていたのは私だけではなかったようです。
 それがツアーに発展したきっかけは、富山医科薬科大学の学生・三原さんが投じた次の一石でした。夏休み期間中の地域医療実習受け入れ先を探していた三原さんがメーリングリストで助言を求めたところ、すぐに諸先生から手打診療所を薦めるアドバイスが相次いだからです。こうして三原さんの夏休みが始まる7月28日に、一緒に甑島へ行こうという機運が一気に盛り上がることとなりました。瀬戸上先生と知り合うきっかけになったメーリングリスト「CMINC」の管理人であり、人と人をつないで輪にしてしまう特技を持った荒川医院の安藤先生がここでも実行力を発揮。あっという間に甑島訪問のためのウェブサイトと連絡用のメーリングリストを作ってしまいました。
 実際に甑島に行って地元の人たちと話してみて、瀬戸上先生が島にとっていかに大きな存在であるかを再確認することができました。「診療所の瀬戸上先生のお招きで東京から来た」と説明すると、それだけで村にとっても大切なお客様になってしまうようです。驚いたことに、島で立ち話をした中高年以上の年齢層の人たちの大半が、瀬戸上先生が島に来て何年になるかを正確に覚えていました。「今年で23年になるかね」。
 資料によれば、この半世紀の間、甑島出身の開業医の先生が引退してからというもの、5年以上島に滞在された医師は他におられないようです。中には島の人たちの信頼を集めながらも、家庭の事情でやむなく本土に戻らざるをえなかったケースもあったそうです。そんな中で瀬戸上先生の23年は別格です。「あたしたちにしてみれば神様みたいなもんだよ」と語った喫茶店のおばさんの言葉には、お世辞の色は微塵も感じられず、逆に、晴れ渡った空と澄み切った海に囲まれた楽園のような島の裏側にある厳しい現実をかいま見たような気がしたものです。
 実習に来た学生さんを受け入れて、「こちらの方が鍛えられています」という感想を話される瀬戸上先生。誰かに教えることによって、自分もまた新たに発見し学ぶ。昔「患者さんこそ私にとって最高の教官だ」と語った先生がおられましたが、瀬戸上先生にも共通するものを感じます。様々な人たちとの出会いや経験を自分の財産に変える力。これが先生のお人柄を作り、東海大学の山本五十年先生をして「スーパードクター」といわせしめた臨床の実力を築き上げていった秘訣ではないのかと思っています。
 瀬戸上先生、楽しい3日間をありがとうございました。次回は学生さんたちに、「倒れて下さってもいいですよ。静脈確保と脱水治療の実習ができますから」とてぐすね引いて待たれないよう、熱中症の心配のない季節にお邪魔します。(戻る


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甑島オフレポートPart7・纏め・お金持ちより人持ち
((平田さんの手打残留紀行))
港側から武家屋敷通りを歩いていくと、小さな釣り道具屋さんを発見。キュートなお婆ちゃんが店番をしていたので、ちょっと立ち話。
「……瀬戸上先生の次男とうちの孫が同級生でなあ〜。昔はよう 一緒に遊んどった……」
「……先生も昔はたまに釣りをされたもんだが、最近は忙しくて 釣りにもいけんようじゃ。本を書く時間なんかあるんかね?」
「ですから、皆さんが健康でいてもらわなくては困るんです。特に診療所が休みの日には、間違ってもケガしたり急病にならないでくださいね」
「そのとおりだわな。それが一番だ、アッハッハー」

下甑村役場の近くに喫茶店「α夢」発見。どうやらアルファムと読むらしい。お店の従業員らしい中年の女性が3人いたが、2人はやがて買い物に出かけ、他のお客も会計を済ませて私1人になったので会話が始まった。
「……わざわざ東京から瀬戸上先生に合いに来たの。あの先生は私らにとって神様みたいな人だわ。先生が島に来てからもう23年くらいかねえ」
「先生は36歳のときに島に来られて、今年還暦を迎えられたはずだから、多分23〜24年ですよ」
「やっぱりそのくらいだよね。新婚早々に島に来られたのが、今じゃ島で生まれた息子さんがお医者さんになるんだからたいしたもんだよ……」

島で生まれた瀬戸上先生のご長男が、医師免許を取得した後に島に戻って先生のあとを継いでくれることを期待しているのが言葉の節々から分かる。こればっかりはご本人の気持ち次第なのだが。

瀬戸上@下甑村です。

何とかしてインターネットなるものをはじめてみたいと思っているところに喜界島の向井先生が紹介してくれたのがLOCALMTRETでした。メンバーの方はご存知のようにLOCALMTRETは非常にアカデミックであると同時に何でも有りの活発なMLで、私も離島医療についてせっせと投稿してきました。
 その後、安藤先生からCMINCへ、本田先生からもteremedに誘っていただいて現在に至っているのですが、当初,私の周りには離島へき地医療専門のMLを立ち上げた方が良いのではという意見がありました。離島へき地医療に携わっているもの同士、共通の悩みや話題を取り上げながら離島医療の向上・発展に役立つ、そんなMLがあったらと考えていたのです。
 しかし、離島へき地医療を多くの人たちに理解してもらうためにはむしろいろいろの立場の人たちが参加しているMLに離島へき地医療に携わっている人たちが加わった方がいいと解るのに時間はかからりませんでした。
 今回の甑ツアーの試みがうまく行ったのもまさにそのお陰で、一度離島に行ってみたい、直に離島へき地医療を覗いてみたいという人たちの情熱が原動力でした。
 4月でしたか、確か宮下さんが甑島に行ってみたいと声をあげると呼応するように林さんが手を挙げ、安藤先生が援護射撃されると澤村先生が続き、あとは人の輪が波紋を描くように広がって行って、最終的には井上先生のヘリコプター試乗と隈本先生の記念講演が加わって成功を確信しました。
 ただ計画が進行する中で予定外だったのは参議院選挙とかち合ったことでした。選挙ともなれば地域によっては役場職員は前日から泊り込みで準備にかかるのが我が村の常だからです。
 「東京からのお客さんですか。それは村にとっても大事なお客さん、みんなでお迎えしなければ。」
 村長さんからも力強いお言葉を頂きました。
 「遠遊会をやりましょう。魚は自分たちで潜って取ってくれば良い」
 診療所の職員だけでなく潜りの得意な役場の職員たちもやるきまんまんでした。
 だが残念ながら選挙と重なって役場職員は一部の人たちしか応援をもらえず、それに手打診療所の事情もあって、遠遊会は当初の予定を変更せざるを得ませんでした。それでも魚に関しては全く心配していませんでした。よしおじが「魚のことは心配するな」といってくれていたからです。
 ところで、島には「金持ちより人持ち」という言葉があります。
 命の次に大事だと言われるお金ですが、いざとなったらそのお金より友人のほうが有り難い。だから友達を大事にしなさいと言う意味のようです。
 この言葉を最初に教えてくれたのは、島に来て間もない頃、大きな石鯛をぶら下げて医師住宅に遊びに来てくれたよしおじでした。今でこそ穏やかな顔をした好々爺ですが,若い頃のよしおじには数々の武勇伝があり,よしおじが道を歩いていると村の人たちは蜘蛛の子を散らすように逃げていたと言います。そのよしおじが着任したばかりの診療所の先生と友達になったと不思議がられたものですが,お陰で魚には不自由しませんでした。家内のお産の時など赤い魚が目出度く,おっぱいも出るのだとアカセビなど高級魚をいつもぶら下げてきてくれたし、休みの日には追い込み漁に何度も連れて行ってもらったものです。
 「お金持ちより人持ち」、よしおじが教えてくれたこの言葉は、隈本先生の「MLは縁の世界である」というお言葉や、安藤先生が火付け役の「ml−ml」の心とも通じるものがあるように思います。今回,痛感したのはまさしく「お金持ちより人持ち」であり、人の輪の有り難さでした。(戻る


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