「キーボードと私」    京橋 荒川医院 安藤潔


私がキーボードなるものに初めて触れたのは、確か高校生の時、父が使わなくなったオリベッティのタイプライターを譲ってくれたのです。これは面白い、ということで、早速、英語の教科書を丸写しして何でも書き込めるノートを作り、まさに遊びながら英語の勉強をしておりました。

そして次にキーボードに親しんだのは、医学部を卒業して研究室に入った時でした。研修医の頃は内科地方会での症例発表をするにも、抄録や読み上げ原稿をオーベンや教授に見せる度に手書きで清書、なんだか医学をやってんだか習字をやってんだか判んないなあ、と思ったものです。そんな頃、富士通から小型のブラウン管を使った持ち運べるワープロ、という機種が発売され、ヘソクリを叩いて早速、購入、一気に原稿書きが楽になりました。オーベンからは教授に見て頂くのに手書きでないのは失礼だ、と注意されましたが、私の悪筆よりも印字の方が遥かに読み易く、校閲すれば翌朝には打ち直されて机の上に、という素早さが、超多忙でせっかちな教授には受けて、教授には手書き、という因習は次第になくなりました。また、各種実験の取りまとめに掛かった頃、エプソンから持ち運べるパソコンが発売され、いつでもどこでも表計算ソフトを使って、結果の集計や検討が出来るようになり、それまで電卓でひとつひとつ計算していたものが、一気にスピード・アップ。勿論、原稿書きもワープロからパソコンへと移行して米英への論文投稿が格段と容易になり、これが結果的には学位取得や国費留学へと繋がりました。

文部省在外研究員として留学したノルウエーにも、勿論、ポータブル・パソコンを持って行きました。オスロ大学ではそれこそ朝から晩まで研究三昧…仲間の研究者達と簡素な昼食をとりながら下手糞な受験英語でお喋りを楽しむ以外、ひたすら実験に没頭。毎晩、そのデータを抱えて帰宅すると、夕食後はパソコンに向ってデータの解析と報告書の作成、翌朝には教授のレターボックスに投函しておく、という前述のパターンを取りました。有能な教授の超多忙振りは何処でも同じですが、流石にレスも素早く、その日の夕方、遅くとも翌日夕方には、何枚にも渡る指示書が私のレターボックスに投函されました。お陰で毎週一度のカンファレンスも私は要点だけを話して終わり、研究に関しては万事、スムースに進みました。勿論、こうしたやり取りは全てパソコン内に記憶されている為、帰国前に取り掛かった論文作成にはとても役立ち、10ヶ月の滞在で二編の英語論文が出来、ノルウエー滞在の良い思い出となりました。

さて、帰国して再度、臨床を始めて出会ったのが、仮想ウィンドウズのフレーム・ワーク2(FWーII)というソフトでした。一太郎のような文字修飾は出来ませんが、表計算、データベース、ワープロを手軽に組み合わせて自在に使える点で、まさに患者さんのカルテ整理にはびったし、と直感しました。早速、自分が診ている全ての患者さんの病歴、検査結果、問題点、資料などを入力、また、勉強嫌いで記憶力の悪い私ですので、これに自分の勉強ノートを作り、遊びながら医学書を読むことにしました。まあ、自分の頭に余り記憶していないのはどうかな、とも思ったのですが、或る時、ノーベル賞を受賞した某科学者が、「記憶することは"歩く辞書"の友人に任せてしまい、私は自由に発想する」、と書かれていたのを読み、これだっ、ということで、覚えるのはパソコン、考えるのは私、という診療スタイルが、開業を継いだ今も続いております。

キーボードが次に私を大きく変えたのは、平成10年、インターネットの世界に足を踏み入れた時でした。インターネットは時間と距離を超える・・・今や既に陳腐な言葉になりましたが、当時はまさにこれを実感。自分のクリニックに居ながら、日本各地の様々な専門分野の医師達とリアルな情報・意見交換が出来る。いろいろとやり取りしているうちに、その相手のお人柄や実力も見えて来る。そうすると本当にインターネット上の医局ですね。ちょっと判らないこと、困ったことなど、開業を継いでからは一人で対処していたことが、様々な立場・経験に基づく意見を幅広く求められるようになりました。また、在局時代、しばしば大学図書館へ出向いて各種文献の検索をしたものですが、開業を継いでからは図書館へ出向く時間がなく、専ら医学書や雑誌が頼りでした。しかし、インターネットはこの方面の悩みもほぼ解決してくれました。診療机の上に小さな図書館がある、それも海外の最新の文献さえ即座に読める図書館が・・・これは研修医の頃には考えられなかったことです。

そして更に、インターネットを通じて様々な方々に接することにより、医学のみならず、医療行政や地域医療など、今までは殆ど興味も持てなかったことに、やっと目が開いてきました。一見、単調な日々の外来診療を地道に続けていくことも勿論、大切ですが、これからの開業医はもっと外にも目を向けなければ・・・そして、それを容易にする有力な手段を今、私たち開業医も手に入れたんだなあ、と感じました。

最後にこのキーボードですが、今や音声入力ソフトも相当に進歩し、既に外来診療の電子カルテにも音声入力を試しておられる先生まで、という時代になりました。今、医療過誤がマスコミを賑わせ、カルテへの記載がうるさく言われていますが、本来、開業医のすべきことは患者さんを良く診察し、病態や治療方法を考え、そして患者さんと話し合うことであり、カルテへの記載はその結果でしかありません。パソコンの進歩が開業医と患者さんとのやり取りをスムースに整理整頓して、判り易く記録に残してくれる時代が早く来るといいなあ、と思いながら、毎日の診療でも、まだ、せっせとキーボードを愛用している私です。

追記:この草稿をサイトにアップして全国のお仲間に御意見を伺ったところ、早速、その夜、杉並の川内先生から「最初はキーに慣れるのに苦労したけど、そこを乗り越えたら楽になった、と言う点を書かれたらどうでしょうか?」というアドバイスが届きました。確かに仰る通りで、パソコンはやってみたいけどキーボードが…という方は結構、居られると思います。しかし、キーボードは案外、簡単に慣れることができるのです。何故ならアルファベットはたった26文字、両人差し指に6文字、他の指に3文字ずつ、上下にちと覚えさせればお仕舞いですから。

まず、キーボードを見ずに打つ練習をする為、キーボードの配列を紙に写して画面の上に貼り付けて、画面にはワードとかメモ帖などのワープロ・ソフトを起動しておきます。それから、両人差し指をFとJに合わせた位置で手首を固定、ワープロ画面を見ながらFJFJFJF…と繰り返し打つ。次ぎに斜め上のTYTYTYTY…こうして両手4本ずつの指を繰り返せばそれでお仕舞い。ポイントは1)キーボードを決して見ないこと、2)人差し指から小指まで一気にやってしまうこと…これで2〜3時間も集中すればバッチリです。案ずるより産むが易し、というのはこういうことか、と実感されるでしょう。