被災地支援について(福島県いわき市版)

〜今、必要なのは、有効なマンパワー〜

○いわき市医師会の支援の仕方:・・・因みに日本医師会災害医療チーム(JMAT)の活動状況はこちら
  1. 支援する場合には支援される側のニーズをキチンと把握し、有効なマンパワーを提供することが重要です。まずこちらをご覧下さい。
  2. JMAT関連情報トリアージカード赤(要医療)黄(要注意)白:要観察)、チェックリスト
  3. いわき市HP原発事故に伴う放射線の影響及び雨降時の対応及び安全性環境放射能測定値
  4. 参考サイト:
    1. SMC原発Q&A福島で臨界事故が起きない理由)、福島第一原発の危険性モニタリングデータ風向き
○緊急車両の指定の取り方: → 交通規制の全面解除(3/24)
  1. 地元の警察署の窓口に1)医師免許証の写し、2)車検証の写し、3)印鑑を持参すれば、医師であること&行き先を確認し、直ちに車両に対して通行許可証を発行して貰える。(上記1)と2)は必ずコピーを用意)
    • 上記1)を直ぐに用意できなければ、医師であることが判れば良いので、例えば医師会の会員名簿と免許証、でも構わない。
  2. 緊急車両の指定を受けておけば下記をクリア、且つ高速SAでの給油が優先的に受けられる。
    • 参考:http://www.e-nexco.co.jp/pressroom/press_release/tohoku/h23/0316/
      1. 災害応急対策に必要な人員や資材などを運ぶ緊急車両(※1)の交通路確保のため、下記の道路が、関係都県公安委員会によって緊急交通路に指定されています
      2. これにより、対象区間では、緊急車両に限り通行可能です。一般の車両は一切通行できませんので、ご注意ください。

○福島県はいわき市の比佐先生のトコロへ伺って(11/3/20)
  1. 開業医の眼から:安藤潔@荒川医院
  2. 事務職の眼から:篠山明男@中野区医師会事務局 (今件は「医師会事務局業務」ではありません)
  3. 営業職の眼から:細谷邦夫@MSS
JMATから戻って・・・宮城県女川町支援報告・・・埼玉県の天野教之@天野医院にcmincからの転載許可を戴きました。

安藤潔@荒川医院
  • 今回の未曾有の大震災(東北地方太平洋沖地震)は広範囲に渡って被害をもたらし、医療系MLから知る限りでも、「被災地」と言っても夫々、地域によって事情が異なり、「避難」と言っても、これまた様々、と感じます。そこで今回、丁度、三連休でもあったので、3月20日(日)、いわき市の開業医である比佐先生の配信に応じる形で、福島県はいわき市へクルマで往復してきました。

    3月18日(金)の夜、所属する中央区医師会の拡大災害救急委員会から帰宅後、比佐先生と電話で段取りを打ち合わせると共に同行してくれる仲間2名をMLで募り、同19日(土)はまず最初に地元警察署にて緊急通行証を入手、東京に居る比佐先生の御家族に、比佐先生から直接の指示で必要なものを用意しておいて戴いて杉並まで受け取りに伺うと共に、同様に比佐先生のご要望に従って消毒薬やガーゼ等、取りあえず必要な物品を卸から調達しました。

    3月20日(日)午前7時、同行の男性2名と一緒に、ネット情報に、緊急通行証があればガソリン入手が確実、と記載があった東北道を北上、途中でガソリンを満タンにして磐越道からいわき市常磐湯本町の比佐医院へ向かいました。道中、道路の補修工事をアチコチでやっては居ましたが、注意して走行する分には支障無く、高速道は空いていて、ことに通行制限されている矢板インター以北は走っているクルマは稀でした。

    午前11時頃には比佐医院に到着。昨日は大勢の患者さんでごった返して昼までの受け付けの診察に午後4時まで掛かった、という比佐医院も本日はお休み、院内はヒッソリとしていました。こうした被災地での医療は長期に亘ることが予想され、医師も職員も休む時は休んで、日常生活の維持やその後の診療への備えをすることも大事、と感じました。

    クルマから物資を降ろして大雑把に仕分けした後、比佐先生のクルマに同乗していわき市医師会館へ向かいました。市内でも建物の損壊は殆ど無く、今日からガソリンの供給も始まった、というガソリンスタンドにはクルマの長い列が出来ており、まるで都内と同じ光景だな、と思いました。また、途中の大きなスーパーの駐車場は買い物に来た地元の方々のクルマで一杯、物資の流通がやっと始まった、とのことですが、対象的にコンビニ店はいずれもシャッターが降りた侭でした。

    クルマの中で比佐先生から、1)今回の地震で、いわき市でも津波の被害を受けた地域は別として、高台にある市街地の被害は都心同様、殆ど無かった為、で、復興に向けてみんなで頑張ろう、と思っていた処へ連日の原発事故報道が始まったこと、2)まずいわき市の実状を発信すべきマスコミが真っ先に居なくなり(且つ、来なくなり)、風評しか入手できない方々がいわき市から逃げ出して、水やガソリン、物資の供給等のライフラインが完全に停止してしまったこと、3)この数日間は医師会とも連絡を取る術も無く、孤立無援での巡回診療は本当に大変だった、との話を伺いました。

    また更に、4)今、いわき市としては、まずマスコミにいわき市の現状をキチンと伝えて欲しい、電気・水道も復旧し始めたし、今日からはガソリンや物資の供給も始まった、と。そして5)市民には地元に戻って来て頂きたいし、風評に惑わされず応援にも来て頂きたい、そして本来居るべきヒトが居れば機能する筈のいわき市をキチンと機能させて欲しい、とのことで、今日、現地に行ってみて、ホントにそうだな、と実感しました。

    いわき市医師会館では、既に届き始めた医薬品を薬剤師会の方達が仕分け中でした。まずいわき市医師会の長谷川副会長及び薬剤師会会長と名刺交換をさせて戴き、会議室に入ったら、比佐先生が「津波で医院と一緒に流されたみたい」と悲痛な表情で語って呉れたその医師会長御本人の木田会長が・・・比佐先生も感激の御対面でした。また、都内といわき市を頻繁に行き来しているという地元出身の石井日医理事が丁度、居られたので、石井理事と木田会長から現地での対応や救援への要望など、様々なお話を伺いました。

    いわき市には現在、130を越える避難所に自宅では生活が困難になった市民が集まっており、今までは日医や愛知県などの緊急派遣の医師・医療関係者の協力でなんとか巡回診療をして来たが、それも遠からず限界があり、既に石井日医理事が損保と交渉して福島県でも医賠責の件もクリアしており、東京からでも常磐道で数時間で来れるので(今日の帰りは常磐道で2時間半)、1泊2日か 2泊3日くらいで交替で、都内からも日医会員に巡回診療を応援して頂けるとありがたい、とのことでした。

    因みに日医が既に国家公安委員会に交渉し、全国何処でも緊急通行証は個々で地元警察署に出向かなくても、地元医師会で警察署と交渉すれば一括取得は可能(注1)、とのことで、緊急通行証があれば通行止めの高速道路も通れる、SAでのガソリン給油(満タン)もOK、はネット情報の通りで、現時点では常磐道を利用しての往復には特に問題無しと思います。
    • 注1:本日(3/22)、本会の担当理事が地元警察に確認した処、通達は署には来ていない、医師であることを確認する為、本人に来署戴きたい、との回答で、ま、末端までなかなか伝わらないのは医師会組織と一緒。

    今回の東北地方太平洋沖地震は「東日本大地震」とも言える程の大規模災害なので、個別支援も勿論、出来れば積極的に行う、にしても、被災地に無用の負担を掛けぬよう被災地担当者との連携は必須であり、地域医師会としてもJMATへの協力体制など、キチンと対応して行くことが必要、と考えます。

    更に、実際に地震や津波の被害が殆ど無い地域でも、いわき市のように原発事故による風評被害でライフラインをサポートする人々が居なくなり、現地に留まる市民の命さえ脅かされている、という現実に対しては、都心からも比較的近いだけに、各医療系MLや下記1)に寄せられる知見等を要約し、首都圏の方々に周知することにより、有効なマンパワーが得られれば比較的速やかに対応可能であると思いました。

    1)SMC JAPAN:
    http://smc-japan.sakura.ne.jp/ 

篠山明男@中野区医師会事務局 (医師会事務局に勤務していますが、今回の件は医師会「業務」ではありません。)
  • いわき市訪問準備 3月19日(土)
       
    「ブツが来ないのョ!」 ことにガソリン、医療消耗品・・・(嘆)
    「動けないヨ!」目が回る忙しさ、モノが来ても買いに行く時間がないよ(涙)。
    の声からスタートした「物資運搬プロジェクト」
        
    1. 緊急通行許可証発行 
    築地警察署へ。1.医師免許証(写)、2車検証(写)、3.印鑑を持参して、所轄警察へ行って申請書に記入すると即時発行。 
    (本当の所轄は中央警察署だけど、まぁいいやと)

    2. 医薬品調達
    土曜日、薬品卸はお休み。そして各営業所が在庫を抱えておらず、配送センター一括。これはダメかも?配送センター取り行くか?
    幸いなことに担当MRさんのご厚意でデリバリーしてもらう。今回は「医薬品」より「衛生材料」中心のリクエスト。
    (なんにせよ、リクエストは事前に早めに具体的に伝えて貰うにこしたことはない、ですね)

    3. 生鮮食料品調達
    「スタッフに生鮮食料品を食べさせてあげたい」、比佐先生の思い。ご家族が東京にいらっしゃるということで、生鮮食料品(肉・魚・野菜・果物)はご家族に調達をしていただく。京橋〜高円寺を2往復。
     
    4. ガソリン入手難
    ガソリンが手に入らない。都内も給油に数時間待ちの大行列。幹線道路では渋滞を引き起こしてる。信じられない光景。
    「普段そんなに車にお乗りなんですか?」と尋ねてみたいような方々多数。たまたまガソリン切れのタイミングが運悪く重なっただけ、ではないはず。
    ニュースを見て「ガソリンがかなりの間手に入らなくなるかも」との不安心理だとしたら、これも風評被害といえないか?

    5. ルート選択
    車(トラヴィック)はほぼ満タン。緊急車両は優先給油(満タン)且つ給油量制限無し(多分)。そこで事前情報で給油可能S.A.が判明している「安全な」東北道〜磐越道〜常磐道を行きに選択、帰りは常磐道を利用して様子を見てくることに。
    予備タンク(20L)にも給油して貰えるとありがたい。自分たちで使うことも出来るし置いてもこれる。
       
  • いわき市訪問当日 3月20日(日)
       
    6. 出発:京橋〜いわき市
    朝7時京橋出発。首都高速宝町ランプから入り東北道へ。車の流れは非常にスムーズ。少ない。
    緊急車両がもっと多いかと思ったがそれほどでもなく。給油可能な蓮田SA、佐野SAともに給油待ちの列を横目に通過。

    宇都宮ICを過ぎ、緊急車両のみ通行可区間となる。しかし、本線上にチェックポイントは無く、どうすんの?と思ったら、矢板ICが検問所。全車、一旦料金所へ誘導されチェック、通行許可証を持っている車のみ本線に戻れる仕組み。
    上河内SAで給油。緊急車両のみの為、SA内は広々。売店営業中。車は満タン、携行缶にも給油して貰えた。

    黒磯を過ぎたあたりから、路面のうねりと高速周辺の家屋の屋根にブルーシートが目立ち出す。遮音壁が外れて落ちていたり、新幹線支柱が内倒していたのにはビックリ。他には、電柱が斜めになっている、墓石が倒れているなどの被害も見られる。
     
    路面は、今、補修を終えたてホヤホヤ、が目立つ。地割れの隙間を埋めるだけでなく、区間全部の再舗装も。盛り土した基礎からダメージを受けたのか、半円状に補修した跡もいくつか。
    路肩の白線を見ていると、波打ち具合が一目瞭然。前車がいれば揺れ具合で判断出来るが、出来ない事の方が多い。気温表示は10度〜13度。暖かい。
        
    郡山JCTで磐越道へ入る。今回、JCT付近が路面状況が最も悪かった。
    「この先、一体どうなってる?」と不安に思ったが、その先の方が良かった。三春PAで休憩、11時いわきJCTから常磐道へ。意外なほどスムーズな路面。
    いわき湯本ICを降りていわき市内へ。11時15分過ぎ比佐医院着。休憩2回入れて4時間半弱。事前に打合わせた11時〜12時に比佐医院、の予定通り。
      
    7. 市内(比佐医院まで)
    コンビニは各系列とも軒並み閉店。一般商店、スーパーも閉店。道路の地割れはなく町並みも普通。人影はあまりなく、何かを待っている人の列(後で給水車待ちと判明)だけが印象的。静かなごく普通の田舎町。

    8. 市内(比佐医院〜いわき市医師会館)
    荷物を下ろし、比佐先生の運転でいわき市医師会館へ。車で15分程。
    比佐先生は運転しながら、市内の状況を説明していただく。
    電気、ガスが復旧し、水道復旧・・・の途中に福島原発の問題拡大。そのため市内はまだ断水箇所があり、給水車や湧き水に頼っている地域があるとのこと。
    窓外には、確かに地震の痕跡が残っている。瓦が落ちた屋根、剥がれた外壁。ヒビの入った壁、地盤沈下と割れた地面。でも、市内の空気は落ち着いた、片田舎のひなびた静かな空気。普通の人にとっては、どこにでもある日常。
     
    原因はすべて原発事故にあるのだという。ただ、原発そのものではなく、放射能が一人歩きした「風評被害」だという。
    実際には、福島市や郡山市の方がよほど高い値を示すのに「いわきの方が怖い」という心理になってしまっている。(土曜日に連絡を受けた時は、いわき市=0.98μSv、福島11μSv)
    30km圏内(屋内待避指示)にかかるのは、いわき市の一部分でしかないのに、いわき市全部がかかるような「イメージ」で捉えられてしまっている。
    電気来た。ガス来た。後は水だけ、のはずが原発事故。
    怖い。だから逃げる。逃げるから(水道の)復旧作業が進まない。進まないから、透析が出来ない。
    怖い。だから普通の市民は逃げる。逃げられない弱者だけが残される。逃げられない弱者は、孤立したまま弱る。だから他者によって動かさざるを得ない。動かされるから(ネガティブな)ニュースになる。
    怖い。だから入ってこない。入ってこないから物資がない。物資がないから、苦しい生活が続く。
    怖い。だから医療従事者も逃げる。残った人間だけ対処することになる。入らない資材、絶対的に足りない人的資源。多くの制約の中、ギリギリの対応。
    逃げる+入らない。この下向きの螺旋階段の歩みが止められずに動きつづけたまま止まらない。
    本当は危なくないことを、どうやって伝えればいいのか。どうしたら安全を信じて貰えるのか。悔しそうな比佐先生。

     途中、ガソリンスタンド(GS)が1軒営業再開。長い給油待ちの車列。閉店しているGSにも長い車列が出来ていた。大型ショッピングセンターが営業再開したのか広大な駐車場には一杯の車。うれしそうな比佐先生。
    「(物が)入れば普通になるんだよ。」
         


    9. いわき市医師会館
    到着すると、医師会館入って直ぐに、各地から運び込まれた食料品、医薬品。
    会議室にはいると、木田会長、長谷川副会長のお姿。木田会長の行方がつかめずにいた比佐先生、思わず涙。石井正三先生(日医常任理事)もおられて、緊急オフミが始まる。石井先生の熱弁がドアを通して聞こえる。

     駐車場にはフロントに「富山市医師会」と張られた白いワンボックス。どういう経緯で富山から来たのだろう?自主的?日医や県医師会経由?聞きそびれてしまった。
     医師会館と、隣接する准看護学校の建物自体は亀裂など見あたらず、外観的な問題はなさそう。ただ、元々は田んぼだったところにたてたせいなのか、地割れ、地盤沈下、排水溝の寸断、花壇が建物と分離など被害が無いわけではない。

    10. 常磐道 いわき〜東京
    14時半、比佐医院を後に常磐道で東京へ。いわき湯本ICから入る。
    路面のうねりは路肩の白線ではっきり判る。道路の段差は東北道よりも「鋭い」。角がとがった段差を感じる。そして、センターラインに沿って「割れ」というより「高さ」を伴った段差。これは東北道と大きな違い。
    給油が出来ると思っていた中郷SAは品切れでスタンド休止。トイレも断水のため使用禁止。次の友部SAで給油。水戸ICから南は一般車両通行可なので、給油待ちの長い車列。(緊急通行証があると優先的に入れさせて貰える)
    守屋SAは短いな、と思っていたら2列、そして3列に誘導していた。なるほど。
    一般車両も走る水戸からは交通量増えたが、渋滞すること無く浦和料金所を通過し首都高。宝町ランプから降りて17時京橋到着。
    荷物を積み替え、お互いに握手をして解散。

    11. エアポケット
    津波の被害では、陸前高田や南三陸町、相馬市が大きく取り上げられ、原発では、双葉町、大熊町が大きく取り上げられた。確かに、壊滅的被害を被っていることは間違いないし、原発そのものが存在する場所であることに違いない。
    ただ、それ以外にも被害を受けている地域は沢山ある。そして、立ち直るためには、それらと同じように、人材を資材を必要としている。そして「零」になってしまった地域よりも遙かに少ないリソースで、多くの人々が平穏に暮らせる。だから、その位は我慢してよ、なのか?それで良いのか?
     優先順位、どうやって決めればよいのだろう?

    12.生きている
    いわき市は、沿岸部の津波被害を受けた地域は判らない。お亡くなりになった方も145人(3月18日現在)おられ被害は出ている。
    しかし、1週間以上経った今、少なくとも自分が見た医師会館より南の地域では、水の問題を除けば普通の生活を送ることが出来る。シャッターこそ下りていて静かだが「死んだ街」では断じてない。そこに生活の匂いは確かにある。
    今日(21日)午前10時から、いわき中央ICまでの通行止が解除される。一部を除けば避難対象地域ではなく、一般市民もスムーズな移動が可能になった。物が来れば人も来る。これが復活に向けた良いサイクルへの起点になるのではないか。
    昨日、閉店していたコンビニは、スーパーは、今日開店できただろうか。もし、物資が来ずに開店出来ないようであれば、そのことこそ大々的に報道すべきことではないだろうか。

    13. 提携
    富山市医師会の車が医師会館にあった。これは自発的なものなのだろうか。だとしたら、その英断に拍手を送りたい。後日で良いので経緯を是非知りたい。
    「姉妹都市」があるように「姉妹医師会」があり普段から交流があると、非常時には、迅速、かつニーズに応じた細やかなやりとりが出来るかもしれない。富山市医師会の車をみて、ふと思った。

    14. スピード 
    物事には対応スピードが生死の境目になることもある。平時なら手順に沿ってやることは大切だと思うが、手続原理主義、いかなる時も手続きどおりでなければ出来ない組織では、非常時役にたたない。横並び意識と指示待ち姿勢では、自分自身が取り返しのつかない事態を招く事を肝に銘じたい。

    15. 生活必需品
    今回ほど地方での車の重要性、「足」の役割を意識させられたことはなかった。ガソリンは水と同じ、車は靴と同じ。そのくらいに密着している生活必需品。ガソリンの持つ重さが我々とは比べものにならないほど重いのだと感じずにはいられなかった。
    最後に、この地震で被害に遭われた方にお見舞いを申し上げるとともに、お亡くなりになった方のご冥福をお祈り申し上げます。
    そして、今も闘っている方々にエールと支援を送りたいと思います。

細谷邦夫@MSS
  • ○はじめに
    今回の震災において、不幸にも亡くなられた方々に哀悼の意を表すとともに、被災者の方々には心よりお見舞い申し上げます。
    被災者は被害の大小に関わらず、皆さん大変な思いをしています。被害の大きかった方々には注目が集まりますが、被害が小さかった方々は忘れ去られがちです。
    今から書くことは、誰が悪いと言いたいのではなく、自分も含めて流されやすい日本人そのものへの批判なのかも知れません。

    ○まだ震災は終わっていない
    私の住む神奈川県や東京都など、直接的な被害を受けていない地区では、計画停電などはあっても、暮らし自体は平穏を取り戻しつつあり、カフェなどで周りから聞こえてくる会話は、あの日の事はもう昔話でるかのように語られているが、まだほんの10日前の出来事なのだ。

    東北自動車道は黒磯を過ぎたあたりから様相が変わり始めた。車が北へと向かうにつれ、道路の隆起は増え、路肩は崩壊し、時には減速しなければ通過できない様な段差が現れてくる度に私の中にもあった同様なお気楽な考えは消えていった。

    果たして現地に着いてみると、給水車を待つ人達の列、シャッターを降ろしたコンビニエンスストア、続く余震に現実を突きつけられた。
    しかし被災地区全体の復興への道のりは遠いかも知れないが、少なくとも私が見たいわき市では復興への息吹を強く感じる事ができた。

    ひとつ私にとって衝撃的な出来事があった。医療機関に居たとき、少々大きめの地震に遭遇した。
    揺れが少し落ち着いた頃、テレビでは緊急地震速報が流れた。さらに大きな地震が来るのかと身構えたが、現地の医師は落ち着いた口調で「今の揺れの事だよ」と事も無げに言い放った。
    揺れてから流れる緊急地震速報・・・現地ではまだまだ地震と闘っている。

    ○支援の優先順位
    私は阪神淡路大震災でもボランティア活動を経験した。当時は火災の被害が大きかった地区で10日間を過ごし、少しづつではあるものの、物資が届く様をこの目で見てきた。

    情報が錯綜する中で被害の大きい地域に物資が集中する事は仕方がない。しかし、どのような時でもボーダーラインにいる人たちが忘れ去られる事を意識する必要がある。即ち、被害が軽微だからと後回しにされてしまう人達の存在である。これは私が専門とする医療保険や診療報酬の世界でも同様で、救済されない人達が出てしまう。

    今回はたまたま縁あっていわき市を訪れたが、同じように孤立状態になっている所はたくさんあるだろう。
    私の友人も水戸市で被災した人が居るが、やはり支援の手は届いていない。新聞にも同様に悲痛な投書が載っている。

    しかし、今回私が訪問したいわき市において物資が届かないのは、そのような事情の他に、人災とも言える要因がある事を訴えておきたい。

    ○風評被害を目の当たりに
    コンビニエンスストアは24時間、開いててよかった、が当たり前の時代である。そんな時代に、いくら被災地とはいえ、全てのコンビニエンスストアがシャッターを降ろしている光景は異様としか表現しようがなかった。
    ガソリンスタンドに長蛇の列なのは、東京や神奈川なども同様であるが、いわき市の事情にはかなり違いがある。
    東北道にはタンクローリーも物資輸送のトラックもたくさん走っていたにも関わらず、いわき市にはガソリンも物資も無い、何故なのか?

    ○物資は目と鼻の先
    一部では報道されているが、原発事故の避難勧告を受けて、いわき市には行きたくない、ウチのドライバーを行かせる訳にはいかない、という状況が起こっているようだ。目に見えない放射能だけに、誰でも恐怖を憶えるだろう。

    私の自宅のある鎌倉近辺でも、外出するのが怖いとか、子供を外で遊ばせるのをやめるとか過剰とも思える行動が出ている。

    しかしいわき市は「一部」が30km圏に入っているだけなのだが、「いわき市」というだけで物流が滞っているのだ。
    前述のように、東北自動車道には多くのタンクローリーやトラックが走っている。郡山や福島には支援物資が続々と届いているとも聞いている。
    同じ福島県でありながら、これほどの距離が出来てしまった原因は一体なんなのか。

    ○判断の難しさ
    私も経営者の端くれであるので、危険な場所に従業員を派遣できないという判断はよく理解できる。しかし、その判断をする材料の客観性が損なわれている場合はどうすればいいのだろう。

    今回の訪問時の放射能レベルは、直接的健康被害を生じることは無いレベル、であろう。
    今現在、物資を運んで将来癌で死ぬ確率と、交通事故に遭って死ぬ確率とどちらが高いのだろう。

    ○情報の取捨選択
    冷静に放射線量の情報を見れば、小学生でも分かる事実。それにも関わらず前述のような誤解によって物流が阻害され、現地の医療は崩壊寸前に陥っている。

    個人的にはマスコミ、殊にテレビの報道姿勢に疑問を感じざるを得ない。
    原発の事故は事実として存在するが、今回は地震も含めた複合的な災害のはずだが、前述のように、私も含めて遠く離れた人間にとっては、そろそろ遠い記憶になりつつあるのではないだろうか?
    そんな中、マスコミの報道は原発事故がトップニュースで、ともすれば地震の事よりも、そちらばかりに目がいってしまう状況が出来つつある。
    現場で懸命に取材を続けている方も居られるし、勿論マスコミだけに責任がある訳ではないだろう。
    しかし、現在の報道は徒に不安を煽っているようにしか見えないのは私だけだろうか。

    ○被災地に居ない者に出来る事、すべき事
    インターネットの進化は目を見張る物があり、メールに始まり、様々なSNSやツイッターなど情報には事欠かない。実際震災にあたって、これらの情報に救われている人は多いと思う。
    しかし、それらの利用者が強く意識しなければいけないのは、「安易な情報拡散は風評被害に荷担することになる」ことだろう。
    そして、ボランティアなどで現地に入るばかりではなく、いま自分が出来ることからやっていく事だろう。
    また個人的な考えではあるが、無闇な自粛ムードもそろそろ考え直すべきではないだろうか。経済の沈滞は結果的に現地の復興に水を差す事になりかねないだろう。

    ○客観的な情報を
    前述のようにインターネットを含めて、非常時のマスコミ報道は大変心強い。しかし、「自分の目で見ていない」「自分の耳で聞いていない」事を信じて、自分自身で十分咀嚼出来ていない情報を垂れ流す事は、単なる風説の流布になりかねず、結果的に風評被害によって問題こじれる一方になる。
    実際今回の震災においては、善意からの事とはいえ、チェーンメールが問題にもなった。
    他人に情報を流す前に、もう一度考えてみて欲しい。

    ○ジャーナリズムとは?
    ジャーナリズムはどうなった?
    東京のスタジオでしたり顔でコメントをするのがジャーナリズムなのか?
    戦場カメラマンという名の芸人を輩出するのがジャーナリズムなのか?

    頑張っている現場の記者さんはたくさん居るし、全ての人間が現場に入らなければいけない訳でもない。
    しかし、現場の情報が集まった時に、どのニュースを流すかを選別する者が、視聴者受けするような映像を選ぶ感性に問題があるのではないか。
    そんな事は無いとジャーナリスト達は反論するだろう。
    しかし情報ばかり先行するから、福島からの被災者を宿泊させないなんて言う馬鹿な旅館が出てくるのだろう。

    ○人間は強い、立ち上がっている地域もある
    いわき市内では、行政の努力もあって、一部のガソリンスタンドやスーパー、パン屋さんなどが営業を再開し初め、待ちわびた人達の長蛇の列が出来ていた。
    現地の人達は強く、よその土地の者達が勝手に思い込んでいる可愛そうな人達のままではないのだ。
    もちろん、まだまだそのような状況になっていないエリアもある事は忘れてはならない。ここでも情報の取捨選択が大事になるだろう。

    いわき市医師会館には少ないながらも医薬品を初めとした物資が集まり始めていた。駐車場には遙か遠く富山市医師会のプレートを付けた車もあり、物流が期待出来ないなら、自らで仲間達を支援しようという動きが広がっているようだ。
    しかしこれらの医薬品もあくまでも「繋ぎ」であり、早急な物流の再開が臨まれる。

    医師会館を始め、市中の建物には目立った被害は見られない。しかしよくよく目を凝らすと、屋根瓦が落ちていたり、駐車場のアスファルトが隆起していたりするところもある。
    そのような中、医師会館は威風堂々としており、会議室では会長先生を初めとして、自分たちの大変さも顧みず、対策を練る頼もしい姿があった。

    ○支援物資は善意の押しつけに注意
    阪神淡路大震災以来、災害の際にはボランティアなどで、少しでも現地の人達の役に立ちたいと思う人が増えた。
    とても良いことだ。
    しかし、現地の方々が欲する物は個々に違いがある。個人によっての違いもあるが、地域によっても大きく異なってくる。
    道一つ隔てただけで、水が出たり出なかったり、電気がついたりつかなかったりする訳だが、救援物資を送ろうと思ったときに、ついつい今自分が困っている物をそのまま送ってしまう人が多いようだ。

    今回いわき市に行くまでは、私も漠然とお米やトイレットペーパーが足りないと思っていた。自分達が困っていること=被災者のニーズではない。

    阪神淡路大震災の時に経験した事だが、善意からだろうが古着を送るまではいいのだが、どうみても捨てるしかないような物まで混じっていたのには閉口してしまった。
    それは極端な事例としても、支援物資を送るのは現地では何が必要なのか確認してからすべきだろう。善意がかえって迷惑になる事も知る必要がある。

    ○医師として
    各地で患者を見捨てて逃げ出してしまった医師も居たと聞く。勿論医師も人間であるので、誰もそれを非難することはできない。しかしそういった方には二度と医師と名乗って欲しくは無い。国民の多くはそう感じるだろう。
    私が見た孤立無援の医師を奮い立たせていたものは果たして何だったのだろう。
    もしかすると逃げ出したかったかも知れない、でもそれをしなかったのは間違いなく地域の患者さん達への熱い思い、ただそれだけだったのではないだろうか。
    シャイな医師は戯けるばかりで決して口には出さないが、少なくとも私にはそう感じられた。

都内文京区といわき市を良く御存じの先生から ・・・文殊MLから転載許可を戴いて
  • 安藤先生、もんじゅの皆さま
    永井@いわき市 です
      
     震災以来ずっと相次ぐ余震の中働いております。わたしのなこそ病院はいわき市でも最南端で、被害は比較的少なく(病院の前の道路を津波が走って行きましたが)、当初から電気だけは通じていました。
     今回の災害は津波ということもあり、オール・オア・ナッシングで内陸型とは違い、DMATタイプよりは「災害後3日以降」の診療体制が早々と必要でした。当院でもエレベータが停止した中、一階の入院患者さんを二階に運び、二人部屋に三人とか、食堂にも運び入れ野戦病院状態でした。
       
     被災四日目に水道が開通し、給水の心配はなくなりましたが、薬品、医材、食料、ガソリンの問題が出てきました(私も入浴は四日ぶり)。ガソリン不足で物資が流通しない、従業員が通勤できない状態で、入院制限を実施しました。
     ようやく、この数日で緊急車両証を有効利用(一部不適切)して物資の確保ができるようになりました。周辺の医療機関の相次ぐ閉院と避難民の増加で、投薬内容が異なり苦労しています。中には病名すら不確かで、投薬は飲みきり、お薬手帳も無しで、本人は動けない・・・・・・
      
     その辺の事情は文京区のMLには流しておりますので、中村宏先生に転送してもらってください。現在困っているのは原発による流言飛語と風評被害で折角集まった物資も末端まで配布するのに時間がかかることです。夜の20時や夕方にその日が消費期限のおにぎり600食届いても・・・・・
    • いわき市は北から、四倉地区・平地区・小名浜地区・常磐地区・勿来地区となっています。あまりに広すぎて、医師会のある平まで車で一時間かかります
      
     これからはずっと働いてきたドクターの休養と、当直医の確保が課題です。市内北部の診療所が壊れたドクターは避難所回りをしたり、共立病院の外来診療に当たっています。ドクターは北部に多く、南部勿来・植田地区では避難所回りをするドクターとナースが足りません。

    とりあえず   永井 博典
 

 
JMATから戻って・・・宮城県女川町支援報告  埼玉県 天野医院 天野教之 03/22/11 05:05:39
  • 天野@埼玉です。

    17日の夜に日医ホームページでJAMTの編成について調査。
    私も協力できるのではないかと考えた。
     1、今回の震災の被害は津波であること。
        →救助された方はほとんど内科的疾患であると予測、少人数の編成でもある程度のことはできると思われた。
     2、春分の日にあたり連休があり、1日休めば3日活動できる。
     3、当院看護師の夫が退役自衛官であり、災害救助に理解がある。なおかつ、その看護師も他人への援助への理解がある。
     4、仙台市内に次女のアパートがあり、そこを拠点に活動できる。(次女は帰省中)

    18日朝に当該看護師に行かれるかどうかを訪ねたところ快諾。

    すぐに地区医師会事務局に連絡。地区医師会事務局から県医師会に連絡。埼玉県医師会であ宮城県医師会に連絡をとり、すぐに派遣が決定された。埼玉県医では仙台についたら宮城県医師会に出頭して指示を仰いでくれとのこと。しかし宮城県医師会から電話があり、直接、被災地の女川町に入ってほしいとのこと。女川町役場に出向き、支援方法について尋ねてほしいとのこと。女川町役場に何度も電話するが通じず。とりあえず現地で打ち合わせすれば良いだろうと考えた。

    出動するための自動車は近くの自動車屋さんに頼み、ワゴン車を借りうけることにした。ガソリンが心配、親せき筋ののガソリンスタンドに当たってみたら、実はガソリンスタンドを廃業してしまったという。まぁ高速に乗ってしまえば何とかなる。あるいは今、ある自動車からガソリンを抜けば・・と考えた。

    10時には行く計画がほぼ決定(診療をしながらなので大変だった。)診療を終え1時には自動車屋さんに車を取りに行く。うれしいことに「満タンにしておきました」と・・・。

    その足で警察に。県医師会からすでに連絡済み。医師免許、自動車免許、車検証をもって交通課の窓口で並んでいたら、係員がやってきて「天野医院さんですね・・・」と先に処理をしてくれた。緊急通行許可証をゲットする。

    問屋さんには午前中に予測される必要な薬品を注文。妻には現地で必要となる物品を調達するよう依頼。妻は必死で買い求めたが、周囲の人から「買占め」をしているのではないかと冷たい視線で見られてつらかったとのこと。

    しかし必要な物品は揃い、午後6時の診療終了を待って自動車に積みこむ。

    今回の編成は
     医師1名、医学生(6年生、当日国師発表があった、長男)、
     看護師1名、保健師1名、運転手1名
       しかし保健師の都合がぎりぎりでつかなくなり4名体制となった。
        運転手は次女を任命。高速道運転には慣れている。
        また仙台での食事その他のロジスティック担当にした。 

    朝、県医師会から、先に現地入りして活動している三郷医師会から、検死に使うためのカテラン針が不足しているので調達して持っていってほしいとの連絡。しかしカテラン針はまとまった数が入手できず困っていたところ、三郷医師会で調達できたとの連絡。

    18日は準備できた9時には就寝

    19日早朝5時出発。
    東北自動車道入口で緊急車両の表示を求められる。北上するにつれ、道路の段差が増え、速度を低下せざるをえない。制限速度
    以下での走行となる。

    菅生SAで一回目の給油。これで安心して活動できる。

    仙台市内の次女のアパートに食糧その他を荷降ろししるとともに次女にその夜からの食事準備を命じて、残りの3人で被災地に向かう。

    仙台市内はひどい渋滞・・・何事かと思ったらガソリンスタンド渋滞。カーナビ通りに進行しようとしたが、三陸道の入り口閉鎖一般道をいく。途中松島を通過。海は波一つなく静かだったが、陸は惨状を呈している。

    松島近くからは三陸道に乗れるのではないかとICに行ったら、乗れる印籠ならぬ通行許可証を提示して三陸道で一路石巻に向けて快調に飛ばす。石巻河南ICで降りた。石巻バイパスから牧山トンネルを抜けて女川街道に入ろうとした。
     しかし市街地はひどい状況でこれ以上進めない。カーナビではどう抜けても目的地女川にはつけそうもないと判断。

    仕方ないので、石巻市内で支援開始しようとした。近くで活動していた消防団員に避難所の場所を聞く。最初に行った避難所では体調悪い人はいないということで別の避難所の在処を聞く。その中学校に行ったところ、すでに名古屋の赤十字チームが入っており、不要とのこと、市役所に行って問い合わせてみてくれと。

    それで市役所に向けて通行中、救急車がサイレンを鳴らして接近。道路わきに退避したところ・・・なんとがれきの中の鎹を踏んでしまった。これでパンク。他の車の通行に迷惑になると思われたので、近くてき被害が少ないと思われる路地に入り、後片付けに追われる民家の軒先をかりてスペアタイヤ交換開始。後片付けしている人に、目ざわりでしょうがすみませんと謝罪。「何をしにきたんだ?」と問われたので「埼玉県医師会で女川町に支援にいくのに道がとおれなくて困っていたら、パンクしてしまいました。」

    その人は「それはそれは・・」と言って、そのヘンに転がっている車のタイヤをもらっていけば良いと。タイヤのサイズを調べ始めた。そして近隣の人にも声をかけてくれたところ、数軒先の家の車が同じサイズだと・・・。で、すぐに外して持ってきてくれた。片側だけ交換するとバランス悪いから二本交換しろと二本も。タイヤ交換を手伝ってくれた上に、道を教えてくれた。津波で濡れている道路地図を探し出し、この道を行けば良いと・・。濡れていて悪いが、この地図を上げるから・・・。ありがたい。

    女川町に行くのをあきらめていたのが、これで勇気が出た。

    早速教わったルートをたどる。しかし途中、道路が海水で冠水している。他の車も走っているので行けるだろうと判断。なんとか通過し、女川町にはいる。海まではまだまだ遠いと思われる山の中から、津波の痕跡が見られることに衝撃。

    さらに進行していくと完全に家が倒壊している。しかしこれも序の口で、さらに行くと鉄筋あるいは鉄骨造りの建物が少し傾いて残っているだけでほとんど何も建物がなくなる。災害対策本部の矢印に従って災害対策本部にむかう。すでに3時を過ぎている。

    対策本部で救護室に案内。
    すでに鳥取大のDMATが前日に到着し、現地で被災した木村医師とともに活動開始している。簡単な打ち合わせ。翌日から私は避難所での健康チェックと健康相談に従事する事が決定。それで積んで行った医薬品は救護所に預けた(これが失敗だったことを翌日痛感)。

    とりあえず19日は仙台の娘の家に引き返すことに決めた。しかし、道路の冠水状況はひどい。石巻まで帰るという木村医師が先導してくれるということでその後ろをついていった。ところが救急車が後ろを来てしまい、道路冠水場所で木村医師とはぐれてしまった。道路冠水場所は道路の右側が高くなっており、そちらを通行すればそれほど危険ではないと判断。冠水場所の途中で右折すれば良かったのだが、その時に対向車線から大型ダンプが突っ込んできた。左側に寄らざるを得ず水深の深いところ、そして大型ダンプが作った波の中を進行せざるを得なくなり右折もできなかった。しかし何とか冠水個所を抜けたのだが、その後の道でその右折すべき道に入れるところを探したのだがない。地元の人に尋ねたが、その冠水個所を曲がりなさいと・・・。

    それで勇気を振り絞って再び冠水個所へ・・。他の車がきていないのを見極めて、冠水道路に突っ込んだ。そしてうまく左折できた。

    どうにかこうにか危険個所を過ぎ、三陸道に乗り、仙台の次女のアパートに転がり込んだ。次女は暖かいご飯を炊いてまっていてくれており、ほっと一息ついたら睡魔が襲った。

    ネットで潮位表をしらべ、翌日は干潮時に女川に入ることとした。19日のこの日はちょうど満潮時でしかも大潮の時期で最悪の状態で通行していたことが判明。

    翌日の干潮時に女川に入ることはできるが、脱出するのは無理な時間とわかった。それで翌日は女川泊りと決定し、21日の干潮時を狙って脱出することにした。

    翌朝7時仙台を出発。8時40分には女川着。町の健康支援課のH氏とともに避難所を回ることとなった。最初に向かったのは海泉閣。暗い大広間に老人が寝込んでいる。一人ひとり話を聞き、薬をチェックし、血圧測定。みな、体一つで逃げだしているものだから薬を持っていない。

     弁置換した人がワーファリンが無い。
     ペースメーカを入れたばかりの人が、救護所でもらった薬が前 と違うので怖くて飲めない。(説明はまったくしてもらえなか ったと・・・≪あの状況で医師あるいは薬剤師が説明するのは不可能≫)
     地震以来便秘していると・・・。
     風邪気味だと・・・

    私が持参した薬は救護所においてきてしまったので、処方できず残念無念。

     ついで別の避難所 マイルーム野乃花。町の中心から5Km以上

    結構な高台にあるのだが、この一階部分も津波被害。浦を隔てた向かい側の高台に神社がある。神社も半分流されおかしな向きになっている。被災者の話では、地震がきたらこの神社が避難先となっていたと。年よりを担いで神社に登ったら、そこまで津波がきたと・・・あわててみんなをせき立てて山を登ったと。しかし間に合わない人も居て、神社の手すりにつかまって流されないようにした。頭まで水をかぶってもう駄目だと思った。その時に5人ほどが一緒に手すりにつかまっていたが、水が引いたら残っていたのは自分だけだったと・・・

     夜、どうしても眠れないと・・・。

    男たちはみな船を沖合に出したので無事だったと。浜で仕事をしていた人は家にいる老人を山に登らせるのに必死だったと。子どもたちは、学校は遠くの高台の学校に行っていたので安全だったのが救いであると・・・。

    支援物資で食糧は届いている。水は沢があるのでふんだん。しかし灯油がなく寒くて寒くて・・・。車はあるがガソリンがなく移動できない。

    ついで第一保育園に移動。
    ここは十分な灯油が届いており、また園長先生が統括していてよく自治的に機能している。しかし避難している人たちは一様に健康不安を抱えている。後記するが町立病院が一応機能しており、この保育園からはそれほどの距離ではないため、受診して薬をもらった人も多い。しかしいつもの銘柄ではなかったりいつも何種類も飲んでいるのに2つしかもらえなかったと・・。
    それぞれに、緊急時だからこれだけ飲んでいれば大丈夫ですよと声をかける。室内の換気を良くすることと、日中は外にでて体を動かすことを指導する。
    DMの患者が多く、血糖値が400を超える人もいる。例により便秘に苦しむ人も。インスリンをかろうじて持っている人もいたが、薬を一切失っている人も・・・。

    ついで第一小学校。
    年よりが多い。やはり一様に血圧上昇している。不安を訴える。それぞれに説明。最初の方に書いた木村医師をかかりつけにしている患者が多い。木村先生のクリニックは流されてしまったけれど、木村先生は元気で総合体育館の救護室で診療していると伝えると、手を叩いて喜ぶ人もいる。良かった。

    ここまでで20日の仕事は終了とすることとした。町役場のH氏はずっと同行して、注意すべき被災者についてメモをとってもらった。災害対策本部に戻った。車中泊のつもりで車内を片づけ始めたところ、H氏が学校の保健室を使ってくださいと伝えてくれた。有り難い。保健室ではストーブもあり、トイレも使える。保健室に移動。持参したおにぎりで晩飯。ほっと一息ついた。

    健康支援課長が来て、津波の状況について話してくれる。

    町役場は4階建てで避難してきた人も多かった。しかし津波は4階まで襲ってきたので屋上に避難した。隣にある生涯学習センターも4階の屋根までつかり、機械室の塔屋に20名以上が避難して一夜を過ごした。津波が押し寄せる時の音は、家が倒壊する音と渦巻く潮の音とで言いようがないほどの音であったと・・・。町立病院は小高い山の上に作られている(海抜20mはあるとのこと)。しかしこの町立病院は四方から波が押し寄せてしまったために1階部分が損傷。一階の外来部分に自動車が突っ込んでいた。
    役場の裏手に東北電力の社宅があったが、あそこに住んでいた人たちは地元の人ではないので津波の恐ろしさをしらなかったのではないか・・・避難できていればよいが、きっと中では多数の犠牲者が出たのではないだろうか・・・。この社宅は4階建てだったが、その屋上にもがれきが散乱しており、完全に水没したと思われる。


    午後8時半ごろ就寝。
    午前6時ごろ起床。
    8時半から行動開始予定だったので、私は被災地を自分の足で歩いてみた。町役場の前にはチリ地震の津波の後に立派な防波堤を作ったという元町長の胸像が立っていたらしい。台座を見つけその業績を読む。ふと傍らに目をむけるとその台座に建っていたと思われる60cm角で1.5mほどの石材。町長胸像と書かれている。さらに周りを見回したらがれきの下に胸像があった。がれきを取り除いた。この町の尊敬を一身に受けた町長の予測をはるかに超えた津波がこの町を襲った。町長の胸像に「残念でしたね」と声をかける。

    学校に戻ったら、なんとお湯を沸かしてくれた。これで持参したおにぎりに暖かいカップ麺での朝食。ありがたい

    8時半から活動開始。前日回った中で、尿道カテを留置されている患者がいた。そのカテが詰まり気味かつ尿バッグの漏れがあって困っていた。そこで町立病院に行き、理由を説明し、カテーテル一式を譲り受けて、再度そのおじいさんのところへ向かう。カテ交換を終わったが尿が出ない。とても心配。しかしきちんと挿入できた自信はあったのでそのままとし、後でもう一度来るからねと約束。

    次の避難所に。今度は住宅街の中の小さな避難所。

    女川は水産の街。しかし冷凍庫が使えなくなってしまったということで、その材料を支援物資としてすべて放出しているとのこと。

    小さな避難所ではこのような支援物資を手分けしてさばける。今日はこれからタラ汁を作るという。うまそうですね!というと、そりゃ女川はおいしいものだらけさ!と被災者の声。

    さらにもうひとつ避難所に向かう。ここも小規模。なんと、ここにはホテルのシェフいるとのこと。シェフの号令ですごい食事を作っている。ずいぶんと遅い時間になっていたが、ちょうど朝飯の時間。30人ほどが集会室で一緒においしそうに食事。ご飯は炊き出しのおにぎりだったが、おかずはホテル並み。なんとなんと私たちにも珈琲をふるまってくれた。
    美味しい。

    ここで避難所支援は終了することとし、先ほどのおじいさんの尿の出方をチェックに回る。無事、尿が出ていて満面の笑顔。
    「また来てちょうだいね」という言葉に後ろ髪がひかれる。

    災害対策本部にもどり、H氏と一緒に行動できたことを深く感謝する。H氏も津波が足元まで押し寄せたが何とか避難できたとのこと。わたしたちは逃げてしまうけれど、これからもH氏をはじめ女川町の人々、他の被災地の人々の生活は根底からくつがえされてしまっていることを思うと、胸が張り裂けそう。

    仙台にもどり運転係の次女。そして仙台から脱出できない学生(東北大は4月下旬まで休校となり、学生に帰省を勧めている が、交通手段がなく帰省できない者が多数でている。)を二人同乗させて帰還しました。

    昨夜は疲労困憊ですぐに寝つけたのですが、今朝は3時に目が覚め、もう眠れません。

    長文にお付き合いいただきありがとうございました。

いわき市医師会の支援の仕方:
  • JMAT(Japan Medical Assistant Team)医療支援の募集

    いわき市医師会は、
    医療支援チームの募集を行っています。下記のカレンダーをご覧いただき、一日あたり最大4チームを県外から募集し、避難所の巡回診療をお願い致したいと思っています。
    よろしくお願いします。

    医療支援チームに、ご支援いただける場合は、
    1. 所属する医師会から日本医師会のJMATへ登録を頂き、
    2. 下記のいわき市医師会事務局の電話番号にご連絡ください。

      いわき市医師会長 木田 光一
      いわき市医師会事務局 連絡先:0246-27-7155
       
  • JMAT医療支援カレンダー・・・IWAKI-JMAT:http://www.iwaki.or.jp/cms/?page_id=229

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    いわき市医師会サイトのトップに載せた下記を盛れば、いわき市の数値が低い事が一目瞭然です。
    ◆復興の第1歩 いわき市長・日本医師会JMAT共同記者会見(平成23年3月18)
    ◆福島県における放射能測定値のマップ

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    いわき市医師会副会長
    長谷川整形外科医院 長谷川徳男 Hasegawa Norio
    e-mail:n-hsgw@nifty.com
    (@は全角です。@に変更願います。)
    Tel:0246-25-5691 Fax:25-5873
    〒970-8026 福島県いわき市平字五色町78
    HP:[いわき 巻爪]で検索
    http://homepage2.nifty.com/hase-ort/
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